本文へスキップ







のぼりりゅうかんめいほう




第177号 2018年9月1日更新

文字に観る不思議な世界





《 日本二百寺社巡り 第147回 奈良県奈良市・興福院、不退寺 生駒郡斑鳩町・吉田寺 》    


 

                                                 
興福院》
   
   
                         大門


     
             本堂                      客殿


     
             方丈                      鐘楼


     
        本堂と客殿を結ぶ渡り廊下                 中門


《不退寺》

     
             本堂                     多宝塔

      
     
            南大門                      石棺


吉田寺》    

     
             本堂                     多宝塔


     
             鐘楼                      山門

           
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§


興福院

興福院(こんぶいん)は、奈良県奈良市法蓮町にある浄土宗の尼寺。山号を法蓮山
と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は和気清麻呂ともいい、藤原百川と
もいう。


歴史

興福院の創建については複数の説があり、中世以前の沿革はあまり明らかでない。

寺はもと添上郡興福院村(平城京の右京四条二坊、現在の近鉄尼ヶ辻駅近く)にあ
り、現在地に移ったのは近世のことである。
創建について、寺伝では天平勝宝年間(749 - 757年)和気清麻呂が聖武天皇の学
問所を移して創建し、弘文院と称したという。
『七大寺日記』(嘉承元年(1106年))には藤原百川が創建した興福尼院が前身と
されている。また護国寺本『諸寺縁起集』には、宝亀元年(770年)藤原広嗣の妻
・輪立氏の発願で創建されたとある。

古くは興福院、弘文院の2つの寺号が用いられ、本尊は薬師如来であった。
前述の和気清麻呂を開基とする説は、和気氏が設立した学問所を弘文院と称したこ
とから出たものと推測されている。

寺はその後衰退していたが、安土桃山時代に大和大納言豊臣秀長から寺領200石の
寄進を受け、復興した。寛永13年(1636年)には徳川家光から再び寺領200石を寄
進されている。
現在残る本堂、客殿、大門はこの頃の建立である。
徳川家綱代の(寛文5年(1665年))に現在地の法蓮町に移転した。上記の建物も
移築されている。

2世の尼僧は、元大和郡山城主豊臣秀長の未亡人である。3代徳川家光から14代徳川家茂までの将軍の位牌をまつっている。


《不退寺

不退寺(ふたいじ)は奈良市法蓮町にある真言律宗の寺院。
本尊は聖観世音菩薩(業平観音とも呼ばれる)。山号は金龍山。
寺号は詳しくは不退転法輪寺と称する。


概要

仁明天皇の勅願を受け、平城天皇萱の御所跡に在原業平が開基したと伝わる。その
由緒から「業平寺」とも呼ばれる。平城天皇の第1皇子阿保親王の菩提所である。


歴史

近世の地誌類が伝える縁起によれば、大同4年(809年)平城天皇が譲位してのちこ
の地に隠棲し「萱の御所」と称する屋敷を創建したのがそもそもの始まりとする。
その後平城天皇の皇子である阿保親王、更に阿保親王の5男である在原業平が暮ら
したという。

業平が伊勢神宮を参詣した時に受けた神勅を機に、承和12年(845年)、仁明天皇
の詔を奉って承和14年(847年)、萱の御所を寺に改めて業平が自ら聖観音像を刻
み、「不退転法輪寺」と号して阿保親王の菩提を弔い、仁明天皇の勅願所となった
のが、寺院としての始まりと伝えられている。

寺の近辺からは平安時代前期の古瓦や木簡が出土しており、創建がその頃までさか
のぼることは認められるが、中世以前の沿革はあまり明らかでない。

確実な史料における不退寺の初見は『三代実録』に、貞観2年(860年)1015日、
真如親王が平城京内の田地を不退寺に施入したとみえるものである。
真如親王(法親王)は出家前の名を高岳親王といい、平城天皇の皇子、阿保親王の
弟にあたる。このことから、不退寺は伝承どおり平城天皇所縁の寺であると推定さ
れる。

平安時代末期の養和元年(1181年)、平重衡による南都焼討のために諸堂が炎上し
鎌倉時代になってから西大寺の興正菩薩叡尊によって再興され、中世から近世にか
けては西大寺及び興福寺一乗院双方の末寺とされ、二重の支配を受けた。
またこの頃には浄名院・不動院・長老坊という塔頭があったようである。



吉田寺

吉田寺(きちでんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある浄土宗の寺院である。
俗に「ぽっくり寺」の名で親しまれ、年配の参拝者が多い。
本尊の阿弥陀如来像と、境内にある承応元年(1652年)建立の多宝塔が重要文化財
に指定されている。

寺伝によれば天智天皇の勅願により創建されたとされ、近くには妹・間人皇女(は
しひとのひめみこ)を葬る古墳がある。平安時代の永延元年(987年)に天台僧・
源信(恵心僧都)が開山したとも伝えられる。


§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§

《 今月の撮影者・小倉 光 》

今月は、小さな寺院ながら由緒ある古刹を巡って、お参りと撮影をさせていただきました。
この日も晴天で、青空に映える寺院が印象的でした。
ありがとうございました。
 

 Team200とは
「のぼかん」の毎月1日更新のホームページ表紙を飾る、『全国200神社 仏閣紹介の撮影旅行隊』の 略称で、ホームページ第139号、寺社巡り第110回より活動しています。
宗派、信仰教義内容に捉われず、日本の津々浦々における信仰対象となっている、日本独特の建造物
と呼ばれる神社 仏閣の姿やその歴史をご紹介出来たらとの願いより、サポーターTeamが発足したの
です。
『日本二百寺社巡り』の、200寺社巡り達成予定が2023年1月予定❗  元気に楽しく挑戦します。
応援よろしくお願いします‼


 のぼかんへようこそ!

『のぼかん』は、文字の形で
その世界観を観ていくという
今までどこにもなかった
観名法です

我が子の内面がわかりづらい
人間関係が苦手である等の
悩みについて、ひとり一人の
持つ名前より解き明かして
いきます

「文字の再発見」では講師の皆さん
の「文字の分析」を毎月発表して
います

『のぼかん』の文字の解釈が、
あーなるほど!と理解して
いただけることと思います

newpage1.htmlへのリンク