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のぼりりゅうかんめいほう




第199号 2020年(令和2年)7月1日更新

文字に観る不思議な世界





《 日本二百寺社巡り 第169回  奈良市・薬師寺 》    


 

                                                 
《薬師寺》
 
   
               大池から右奥の若草山を背景に金堂、西塔、東塔

    
           金堂                      大講堂

    
          食堂                       東院堂

    
         食堂から西僧坊                  食堂から東僧坊

    
           中門                      南門


      
                       東塔

    
           西塔                       東塔

      
         西回廊から西塔                 東回廊から東塔

    
       金堂北から東塔、西塔                  手水舎

    
        玄奘三蔵院                      玄奘塔
 

       
                       参道

    
         休ヶ岡八幡宮                    本殿
 
    
         若宮社仮殿                     社務所


    
         孫太郎稲荷神社                    本殿

            


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《薬師寺》

薬師寺(やくしじ)は奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺ととも
に法相宗の大本山である。開基は天武天皇。本尊は薬師如来。南都七大寺のひとつ
に数えられる。
1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産
に登録されている。


歴史

薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により飛鳥の藤原京(奈良県橿原
市城殿〈きどの〉町)の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の
西ノ京に移転したものである。ただし、飛鳥の薬師寺の伽藍も10世紀頃までは引き
続き存続していたと見られる。


創建

『日本書紀』天武天皇9年(680年)1112日条には、天武天皇が後の持統天皇であ
る鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百
僧を得度(出家)させたとある。
薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、
「さつ」は木偏に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成
を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継が
れた。

「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の
歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないう
ちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」
という意味のことが記されている。ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、
『書紀』の「天武天皇9年」と同じ年を指している。
すなわち『書紀』は天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を天武
天皇元年とするが、天武が正式に即位したのはその翌年(西暦673年にあたる)で
あり、「天皇即位八年」とは即位の年から数えて8年目という意味である。

持統天皇2年(688年)、薬師寺にて無遮大会(かぎりなきおがみ)という行事が行
われたことが『書紀』に見え、この頃までにはある程度伽藍が整っていたものと思
われる。
『続日本紀』によれば、文武天皇2年(698年)には寺の造営がほぼ完成し、僧を住
まわせている。この創建薬師寺は、藤原京の右京八条三坊の地にあった。
大和三山の畝傍山と香久山の中間にあたる橿原市城殿町に寺跡が残り、「本薬師寺
(もとやくしじ)跡」として特別史跡に指定されている。


平城京への移転
その後、和銅3年(710年)の平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の
六条大路に面した右京六条二坊(現在地)に移転した。
移転の時期は長和4年(1015年)成立の『薬師寺縁起』が伝えるところによれば養老
2年(718年)のことであった。ただし、平城薬師寺境内からは霊亀2年(716年)の
記載のある木簡が出土していることから、造営は養老2年よりも若干早くから始ま
っていたとみられる。
『扶桑略記』天平2年(730年)329日条に「始薬師寺東塔立」とあり、東塔(三
重塔)が完成したのがその年のことで、その頃まで造営が続いていたものと思われ
る。

なお、平城京への移転後も、飛鳥の薬師寺(本薬師寺)はしばらく存続していた。
史料や発掘調査の結果からは平安時代中期、10世紀ころまでは存続していたようだ
が、後に廃寺となった。
本薬師寺跡には金堂・東塔の礎石、西塔の心礎が残っている。本薬師寺の伽藍配置
は「薬師寺式伽藍配置」と称されるもので、中央に金堂、その手前に中門、背後に
講堂を配し、金堂の手前東西に塔を置く。そして、中門左右から出た回廊が講堂の
左右に達し、金堂、東西両塔は回廊で囲まれている。この伽藍配置は平城薬師寺に
おいても踏襲されている。
本薬師寺、平城薬師寺双方の発掘調査により、両伽藍の建物の規模、位置関係など
はほぼ等しく、本薬師寺の伽藍を平城薬師寺に再現しようとしたものであることが
わかる。
ただし、平城薬師寺では中門の規模が拡大され、回廊も幅が広げられている。

平城京の薬師寺は天禄4年(973年)の火災と享禄元年(1528年)の筒井順興の兵火
で多くの建物を失った。現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみである。
天禄4年の火災では金堂、東塔、西塔は焼け残ったが、講堂、僧坊、南大門などが
焼けた。発掘調査の結果、西僧坊の跡地からは僧たちが使用していたとみられる奈
良時代や唐時代の陶磁器が多数出土しており、天禄4年の火災の際に棚から落ちて
土中に埋もれたものとみられる。


金堂・西塔などの再建

20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建(従来は1600年再建説や1676
再建説などもあった)の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼
け残った東塔だけであった。
1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となっ
て写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。1976年に金堂が再建された
のをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と
再建された。
20175月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、復興事業は
最終段階を迎えた。


再建にあたっては、「鉄は持って数百年程度、木材(ヒノキ)は千年持つ。
鉄を使うとその部分から腐食する。」と主張する宮大工の西岡常一と、「台風や地
震、火災からの文化財保護の観点からも鉄筋コンクリート補強が望ましい。」と主
張する竹島卓一(元名古屋工業大学)の意見が衝突した。結果、金堂の内陣は鉄筋
コンクリートとし、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔
より約30センチ高くして再建された。
なお、入母屋造だった旧金堂は現在興福寺の仮講堂として移築され、寄棟造に改造
され前部の庇が取り払われるなど、外観を大きく変えて現存している


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《 今月の撮影者・小倉 光 》


梅雨の間の晴れ間に薬師寺へお参りと撮影に行きました。
東塔が
2009年(平成21年)から、平成の修理:解体修理で今年の6月頃までの予定で約110年振りの解体修理が進められていたのが落慶されたので、その美しいお姿を拝観したく早々に出かけました。コロナの影響で東塔の周りはまだ整備の途中でしたが、そのお姿は美しく流麗で堂々とされていました。
まさに心洗われる思いがしました。ありがとうございました。

 Team200とは
「のぼかん」の毎月1日更新のホームページ表紙を飾る、『全国200神社 仏閣紹介の撮影旅行隊』の 略称で、ホームページ第139号、寺社巡り第110回より活動しています。
宗派、信仰教義内容に捉われず、日本の津々浦々における信仰対象となっている、日本独特の建造物
と呼ばれる神社 仏閣の姿やその歴史をご紹介出来たらとの願いより、サポーターTeamが発足したの
です。
『日本二百寺社巡り』の、200寺社巡り達成予定が2023年1月予定❗  元気に楽しく挑戦します。
応援よろしくお願いします‼


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その世界観を観ていくという
今までどこにもなかった
観名法です

我が子の内面がわかりづらい
人間関係が苦手である等の
悩みについて、ひとり一人の
持つ名前より解き明かして
いきます

「文字の再発見」では講師の皆さん
の「文字の分析」を毎月発表して
います

『のぼかん』の文字の解釈が、
あーなるほど!と理解して
いただけることと思います

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