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のぼりりゅうかんめいほう




第191号 2019年(令和元年)11月1日更新

文字に観る不思議な世界





《 日本二百寺社巡り 第161回  愛知県一宮市・真清田神社 稲沢市・国府宮神社 》    


 

                                                 
《真清田神社》
 
    
                       遠景

    
            拝殿                     本殿

    
            楼門                     楼門(内側)

    
            神水者                    手水舎
 
    
           社務所                     授与所

    
         東門・東手水舎                   鳥居

    
           服織神社                   三八稲荷社

    
            三末社               須佐之男社、愛宕社、秋葉社

             
                    八龍神社・厳島社


《国府宮神社》

  
                       楼門

    
            拝殿                     拝殿内

    
            鳥居                    鳥居と参道

    
            儺追殿                     手水舎

    
       尾張大国霊神社鳥居                   六末社

    
          大御霊神社                    宗形神社

    
          磐境(いわくら)               国府宮神饌田の碑

    
                      国府宮神饌田


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《真清田神社》

真清田神社(ますみだじんじゃ、眞清田神社)は愛知県一宮市真清田にある神社。
式内社(名神大社)尾張国一宮。旧社格は国幣中社で現在は神社本庁の別表神社。

概要
愛知県北西部、一宮市の中心部に鎮座する。創建は詳らかでないが古代に尾張地方
を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命を祭神とする。
中世には尾張国の一宮に位置づけられ、一帯の地名「一宮」はこの真清田神社の社
格に由来する。現在でも一宮市の市章は真清田神社の神宝がモチーフとされるよう
に、古くから一宮地域の発展に関わってきた古社である。

社殿は第二次世界大戦中の一宮空襲で焼失したため、現在見られるものは戦後の再
建である。そのうち、本殿・祭文殿(さいもんでん)などは神社建築としての造形
を評価され、国の登録有形文化財に登録されている。
また国の重要文化財の木造舞楽面12面、朱漆器25点をはじめとして、多くの文化財
も伝世する。そのほか、創建日とされる43日に行われる例祭は「桃花祭(とうか
さい)」として知られる。

祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「真墨田神社 名神
大」と記載され、名神大社に列している。また『尾張国内神名帳』(尾張国内神名
牒)では、「正一位 真清田明神」と記載されている。

永万元年(1165年)の「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮 八丈五疋」とある
のを初見として、平安時代末期以降に真清田神社は尾張国で一宮の地位にあったと
され、これは現在の一宮市の市名の由来にもなっている。一宮に次ぐ尾張国二宮は
大縣神社(犬山市宮山)、三宮は熱田神宮(名古屋市熱田区)とされるが、神階・
格式の点では熱田神宮の方が尾張国で最高位にあり矛盾する。

真清田神社は古来多くの社領を有したが、それらは「真清田荘」として荘園化し、
平安時代末には八条院領のうち安楽寿院領に含まれた。中世期の他の文書からも、
社領が広範囲に渡った様子が指摘される。その後天正12年(1584年)には大地震で
社殿が崩壊し、豊臣秀吉に社領も没収されて社勢は衰えたという。

江戸時代に入ると徳川氏から庇護を受けて復興し、尾張藩主松平忠吉から社領200
石の寄進、さらに寛永4年(1627年)には藩主徳川義直から105石余の寄進を受け
3366斗余の社領を有するようになったという。寛永16年(1639年)には義直から
細別を記した黒印状が下されたほか、寛文5年(1665年)には4代将軍徳川家綱から
朱印状が下されている。

明治維新後、明治18年(1885年)に近代社格制度において国幣小社に列した。
かつて「真清田大名神」「真清田大明神」「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称
された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された。


《国府宮神社》

尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)は、愛知県稲沢市国府宮にある神
社。近くに尾張国の国衙(国府)があったことから、一般には国府宮神社(こうの
みやじんじゃ)、国府宮(こうのみや)と呼ばれる。
最寄りの名鉄電車の駅は神社の通称にちなむ「国府宮駅」となっている。

毎年旧暦113日に執り行われる儺追(なおい)神事、通称「国府宮はだか祭り」
「はだか祭り」で有名である。

「はだか祭り」は、くじによって選出された、「神男」(しんおとこ)に触れると
厄が落とされるという言い伝えが今なお残る。


由緒

祭神の尾張大国霊神は、尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の
霊力を神と崇めたものとされる。開拓の神ということで大国主命とする説もある。

神社は尾張国府の創始とともに創建されたもので、尾張国の総社とされた。
境内別宮の大御霊神社(大歳神之御子。大年神の御子神の大国御魂神のこと)・宗
形神社(田心姫命)とともに国府宮三社と称する。『延喜式』では小社に列する。
昭和15年(1940年)に国幣小社に列格し、戦後は別表神社となった。

本社の建築様式は本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿、楼門と並ぶもので「尾張式」
と称される。また、本殿に接する位置には自然石を5個円形に並べた「磐境(いわ
くら)」があり、社殿建立以前の原始的な祭祀様式を物語るものとして神聖視され
ている。



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《 今月の撮影者・小倉 光 》

10月も上先生の特別講座を受講することになり、せっかくの機会なので一宮市の真清田神社、稲沢市の国府宮神社、知立市の知立神社へ参詣と撮影に行くことができました。
雨の谷間のいいお天気に恵まれ、順調に撮影が進み、少し早めに刈谷市の講座会場に着き、午後からは上先生の特別講座でしっかり勉強させていただきました。
この日も充実の一日でした。ありがとうございました。

 

 Team200とは
「のぼかん」の毎月1日更新のホームページ表紙を飾る、『全国200神社 仏閣紹介の撮影旅行隊』の 略称で、ホームページ第139号、寺社巡り第110回より活動しています。
宗派、信仰教義内容に捉われず、日本の津々浦々における信仰対象となっている、日本独特の建造物
と呼ばれる神社 仏閣の姿やその歴史をご紹介出来たらとの願いより、サポーターTeamが発足したの
です。
『日本二百寺社巡り』の、200寺社巡り達成予定が2023年1月予定❗  元気に楽しく挑戦します。
応援よろしくお願いします‼


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『のぼかん』は、文字の形で
その世界観を観ていくという
今までどこにもなかった
観名法です

我が子の内面がわかりづらい
人間関係が苦手である等の
悩みについて、ひとり一人の
持つ名前より解き明かして
いきます

「文字の再発見」では講師の皆さん
の「文字の分析」を毎月発表して
います

『のぼかん』の文字の解釈が、
あーなるほど!と理解して
いただけることと思います

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