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のぼりりゅうかんめいほう




第188号 2019年(令和元年)8月1日更新

文字に観る不思議な世界





《 日本二百寺社巡り 第158回 大阪府高槻市 神峯山寺・野見神社 》    


 

                                                 
《神峯山寺(かぶさんじ)》
 
   
                     参道からの本堂

    
           本堂                      観音堂

    
          釈迦堂                      開山堂

    
         狛犬と仁王門                    化城院
 
    
           納骨堂                聖域との境界を示す勧請掛け

    
          寂定院                       本坊

    
           鐘楼                     御手洗

  


        



《野見神社》

  
                      拝殿

    
           拝殿                   拝殿から本殿

    
            鳥居                    能楽殿

    
          手水舎                    高槻恵比寿神社

    
       永井神社・鳥居と唐門                永井神社・拝殿

    
          四社明神
                
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《神峯山寺
(かぶさんじ)》

神峯山寺(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原[1]に位置する天台宗の仏教寺院で
ある。山号は根本山(こんぽんざん)。日本で最初に毘沙門天が安置された霊場
といわれており、本尊である毘沙門天、双身毘沙門天(そうじんびしゃもんてん)
兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)はいずれも秘仏。
初夏は新緑、晩秋は紅葉の名所として知られる。
新西国三十三箇所第14番、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道第64番。

神峯山寺は高槻市の中心部より北へ約6 km、原地区という田園風景が広がる農村部
山間の山寺である。敷地約100haのほとんどは山林で覆われ、一帯を総称して神峯
山といい、都市近郊の貴重な原生林が現存。参道に張られた勧請掛けが聖域と俗世
の境界を示すとされる。

また、開山の祖とされる役小角(役行者)、中興の祖である開成皇子の像が境内に
安置され、古来の皇室との緊密な関係は本堂の十六八重菊紋などで確認できる。
また、かつて七高山と称された修験霊場の一角であり、修験者が使用した修行の道
や滝、葛城山遥拝所を示す石標などが境内の各所に点在する。神峯山の参道入口に
は石造の鳥居が立ち、仁王門前には狛犬があるなど神仏混淆の風土が現在も見られ
る。

歴史
「神峯山寺秘密縁起」によれば、文武天皇元年(697年)に役小角が葛城山(金剛
山)で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、神峯山
寺に位置する場所にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童
の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが
起源とされている。

開山以後、神峯山寺は修験霊場として多くの修験者を迎え入れたとされ、同じく近
畿の修験霊場として名高い比叡山、比良山、伊吹山、愛宕山、金峰山、葛城山に並
ぶ七高山の一角として大いに栄えたとされている。

中興
宝亀5年(774年)、光仁天皇の子息であり桓武天皇の庶兄にあたる開成皇子が、勝
尾寺(現・大阪府箕面市)から入山し、光仁天皇の命によって本堂を創建して住職
となった。これを機に神峯山寺は天台宗仏教寺院となる。
また光仁天皇の勅願所となって以降、神峯山寺は皇室に緊密な天台宗寺院となり、
その関係は幕末まで続いていたとされる。
境内には開成皇子の埋髪塔(五重塔)や、光仁天皇の御分骨塔(十三重塔)があり
天皇と皇室を表す十六八重菊の使用が認められ、各所に菊の紋章が見られる。

平安時代後期
平安時代後期に、天台宗僧侶であった良忍が開宗した融通念仏宗の源流が大原、鞍
馬を通り神峯山寺へ伝わったとされ、神峯山寺秘密縁起4巻の冒頭にはその説話が
残されている。

鎌倉時代以降
神峯山寺本尊・毘沙門天が武将による信仰を厚く受けていたのは、鎌倉時代末期か
らであったとされている。
楠木正成が奉納したと伝わる殿中刀は現在も神峯山寺本堂に所蔵されており、室町
幕府三代将軍・足利義満、摂津守護代・三好長慶に仕えていた松永久秀や、豊臣秀
頼の生母淀殿らによる寄進があった。これらは毘沙門天が戦いの神として崇拝され
たことに起因するようだが、経緯は定かではない。



《野見神社

野見神社(のみじんじゃ)は、大阪府高槻市にある神社である。
式内社論社で、旧社格は郷社。

須佐之男命と野見宿禰命を祭神として祀る。

由緒
9世紀末、平安時代中期の宇多天皇の時代(887 - 897年)、この地方に疫病が
はやり、神託により牛頭天王(ごずてんのう、須佐之男命)を祀ったところ、疫病
が治まったので、社殿を造営したという。江戸時代までは「牛頭天王社」と称して
いた。

10世紀末に高槻城が築城され、城内守護として崇敬されたが16世紀、高山右近が
高槻城主となったとき、右近はキリスト教を信仰していたため、高槻城内にあった
当社の社殿を破壊し社領を没収した。
1619年(元和5年)、高槻城主松平紀伊守が社殿を再建した

明治元年の神仏分離により祭神の名を須佐之男命に変更した。さらに野見宿禰命を
合祀して「野見神社」に改称した
このため、延喜式神名帳に記載された式内社野見神社の論社の一つとされているが
『大阪府史蹟名勝天然記念物』では、式内・野見神社に擬せるために野見宿禰を合
祀して「野見神社」に改称したものであると断じ、式内・野見神社の後裔社は同じ
高槻市内の上宮天満宮摂社「野身神社」であるとしている。
明治4年式内社であるとして県社に列格したが、明治511月に郷社に降格された。


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《 今月の撮影者・小倉 光 》

梅雨の長雨の間を縫って高槻市の神峯山寺と野見神社に参詣と撮影に行きました。
何とか雨は大丈夫でしたが、曇り空の中うっそうとした緑の中の神峯山寺は、殊更に
神秘的な佇まいにおぼえました。
 

 Team200とは
「のぼかん」の毎月1日更新のホームページ表紙を飾る、『全国200神社 仏閣紹介の撮影旅行隊』の 略称で、ホームページ第139号、寺社巡り第110回より活動しています。
宗派、信仰教義内容に捉われず、日本の津々浦々における信仰対象となっている、日本独特の建造物
と呼ばれる神社 仏閣の姿やその歴史をご紹介出来たらとの願いより、サポーターTeamが発足したの
です。
『日本二百寺社巡り』の、200寺社巡り達成予定が2023年1月予定❗  元気に楽しく挑戦します。
応援よろしくお願いします‼


 のぼかんへようこそ!

『のぼかん』は、文字の形で
その世界観を観ていくという
今までどこにもなかった
観名法です

我が子の内面がわかりづらい
人間関係が苦手である等の
悩みについて、ひとり一人の
持つ名前より解き明かして
いきます

「文字の再発見」では講師の皆さん
の「文字の分析」を毎月発表して
います

『のぼかん』の文字の解釈が、
あーなるほど!と理解して
いただけることと思います

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