のぼかんの授業中「字の理論」の説明をする際に、一筆書きした直線と曲線だけでもその違いがリアルに表れ、この一つの動作だけでも文字を形として捉える世界の魅力にたちまち引き込まれ惹かれ、ワクワクした気持ちとなります。
線には直線、曲線、斜線、波線、点線などその種類はいろいろありますが、今回は直線の『直』と曲線の『曲』の文字を分析し、それぞれの本質を考えていきます。
『直』
のぼかん六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に忠実であり、外にも内にもいつでもどこでも状況にかかわらず、自分のスタイルを通す姿勢があると観ます。
次に字の理論では、「一」で圧力や情報をまずは受け止めては並べ検証し、そのほぼ真ん中あたりに斜線「ノ」をクロスし現実的にこうしたいと言う自分の意思を取り入れていき、同時に構築されたアンテナ的要素「ナ」で全体的なチェックをし、左右上下四つの空間に情報を整理していきます。
続く「|」で「ナ」より得た情報から取り組むものに明快な意思を持ち、それを「一」「|」で直角的に三方向を囲み、この内の世界に情報を取り込みます。
ここに上から順々に「一」をニ本書き、一つのテーマとする事を時間的推移により上中下と整理し理解を深めていき、「一」で閉じまとめます。
その後、周りの様子を観察し「目」の左下に書く「|」で最終的な意思を持ち、その下より右へ直角的に「一」で向きを変え「L」とし保守の質の価値観を大事にきちんと結果を示していきます。
大まかにまとめますと、現実的な情報をまず受け止めては並べ確認をし、そこより自分が取り組みたいものを素直に取り入れ、全体を確認し、その後テーマと絞った事を自分の中でじっくり確実に理解を深め、そのまとめた事を周りの現実を見ながら自分の価値観に従い出していくとなります。
ですから、直線、直角、まっすぐは丸みが無い世界ですから、「ここからここまではこういう流れ、、、」「ここからはこう変化します」「このような展開となります」のように方針が明快で、やろうとする事に対して、一目瞭然であると言えますね。
『曲』
のぼかん六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に忠実であり、外にも内にもいつでもどこでも状況にかかわらず、自分のスタイルを通す姿勢があると観ます。
次に字の理論では、周りの情報の中より「|」で得た情報を意思としその上より右方向に「一」を書き、意思とした内容についての現実的な情報を受け止め並べ検証し、その右より下に下ろす「|」にて取り組む範囲を明快に決めていきます。
「冂」の左より内に入った位置に「|」をクロスさせ、外からの情報をこの「冂」内へ取り入れ、更に右より内に入った位置にもう一本「|」をクロスし、「冂」内に外からの情報を取り入れ、同時にこれまで一つの空間であった世界を、左中右と仕分け、続けてその真ん中あたりに「一」を引き、左中右と分けた情報を今一度、左中右とニ段構えで整理し、内面に細分化されたこだわりの世界を作ります。それを「一」で締めまとめた後は接地面もどっしりしていますので、揺るぎない世界観としていきます。
大まかにまとめますと、まず自らの意思を定め、その現実的な情報を受け止めながら取り組む範囲を決めます。
その後新たなる現実的な情報を取り入れながら、自分の内の情報を一つ一つ慎重に丁寧に整理し、こだわりの世界観を構築していきます。
つまり、はじめに方針を決めその後周りの状況を参考にしながら、その現実的な事や後々の応用までを考え準備していく世界と考えられます。
文字を分析してみて、『直』の文字ははじめに周りを観察して、後は決めた通り、方針通りに沿って何が何でも表現していこうの姿勢があるとすれば、『曲』の文字は、取り組む方向性を決め、その後いろいろなバリエーションの想定を持って考えをまとめていくとなりますから、直線のストレートと曲線の柔軟性で例えても、その違いがそのまま文字に表れているようです。
文字と向き合う事で、辞書的意味合いをも超える実態の意味も知れて、まさに「文字の再発見」となる楽しい世界です。
こうして文字の形を通して知るそれぞれの本質や違い。
知る事が安心となる事も、これから出会う皆様お一人お一人にお伝えして参りたいと思います。
今月もありがとうございました。
知人との間で昔話に花が咲き学生時代にまで遡り、属していたクラブ活動でのあれこれにまで及びました。私は運動(中でも団体競技)が苦手で唯一の運動クラブはテニスでした。これは軟式からスタートして硬式に変えてからもずいぶん後まで続けることができました。
知人の中には水泳をやっていた人、バレーボールやバスケットボールをやっていた人もいて、バレーボールをやっていた人はママさんチームでつい何年か前まで続けていたそうです。
昔はチーム一丸となって目標に向かって邁進するのをモットーにし、練習もかなり厳しかったようですが、それも今となっては良き思い出と締めくくられました。
私自身は縁のなかったチーム一丸という言葉が気になり、「一丸」を分析し考えてみたいと思います。
【一丸】
のぼかんの六つの形分けでは直情の形といい、自分の価値観に忠実で、内にあっても外にあっても変わらぬ姿勢を通すと、まずは解釈します。次に字の理論で観ていきます。
まず「一」は左から右へと書いて明快にその全体を表します。これは上からの圧力や情報を避けることなく堂々と受け止め、必要とすることは取り入れそうでないものは上に跳ね返したり左右の端より流し排除します。
こうして圧力や情報は隙間なく続けてくると考えると、ここでの情報などの処理も躊躇なく素早く行われるといえ、常に意識が上方向に向いていると考えることができます。
続いて「一」の下方に空間を置いて「丿」を書き、ここまでの内容を明快にまとめ意思とし、素早く勝気に表現します。
次に「丿」の上部に「一」をクロスさせ更なる情報を受け止め検証しながら、右側の丸みをおびた「乚」へ展開します。これにより左下部に革新の質の空間ができ検証の価値観を大切に守ろうとし、「乚」の粘り強さ、上への方向性より圧力を跳ね除けようとする反応の良さと共にひらめき、プライドの高さなどがあるともいえ、こうして上下に向ける対応の違いがあるともいえます。
最後に「丿」に「丶」を打ちクロスさせ全体としての揺るぎない意志を表すと観ます。
「一丸」を大まかにまとめますと、あるがままの状況や情報を受け止めきちんと前向きに検証精査する世界を持ち、これを前提として意図とすることにより強い意識を持ち、その気持ちに正直にこだわり前向きにプライドをもって行動するといえます。
「一丸となって」とは複数人が心を一つにして共通の目標に向かって協力し合う、団結して行動するという事ですね。スポーツの世界だけではなくビジネスの世界でもよく使われるそうですが、社会全体が私利私欲を捨て世のため人のために「一丸」となれたら素晴らしいだろうなと、そんな理想をふと思ってしまいました。
今月もありがとうございました。
令和七年になり早や一か月が経ちました。
先月は「動」の文字を分析しましたので、今月はその対義語でもある「静」の文字を分析してみようと思います。
先ずは「静」の意味をネットの辞書で調べてみました。①しずめる。しずまる。じっとして動かない。②しずか。ひっそりとした。音がしない。
『静』
のぼかんの六つの形分けでは受け入れの形となり、常にテーマや相手を求める姿勢と同時に何度でも情報を受け入れることを繰り返します。その事が検証となりやがて吟味する力ともなる。と考えます。
次に字の理論で観ていきます。
一画目「一」で先ずは上からの情報なり圧力をここで一旦受け止め並べ検証し、必要なものは取り入れ不必要なものは跳ね返すか左右に流していきます。
次にこの真ん中をクロスする「丨」を書き「十」となり、左右上下に仕分けされる空間ができます。またこのアンテナ的要素を用いて四方から情報の受発信をしていくと考えます。
続いて、その下に少し短い「一」をクロスさせることで「十」で検証した情報を更にここで集約し同時に横からの情報も取り検証を重ねていきます。また、この下の空間も左右に仕分けされると観ていきます。
そして最後に長い「一」を書き、ここまでの流れを全て受け止め最終的に上向きの方向性にまとめていくと観ていきます。
この部全体では直角的で左右対称に近い為、常に良い面、悪い面などの両面を考える冷静さやバランスの良さがあり情報に対して生真面目に検証を重ねていくと言えますね。
次に、少し空間を空け下に「丨」を書き明快な意思を示し、その上部から「一」「丨」と書き進め「冂」となり、ここで範囲を絞り定めていくと観ていきます。
続いて、この内側を縦に三等分するように「一」を二本書き「月」となり、上中下と縦に三つに仕分けされる空間ができます。ここでは、ろ過する感覚でゆっくり時間をかけて考えていく発想法とも言えますし、一つのテーマに対して考えを掘り深めていく発想法とも言えます。
「月」は下に間口が空いていますので、整理したものは下方向に三分の一ずつ出していけると観ることもできます。
「青」の上部は上方向の感性の部で構成され、下部は下方向の我慢形の部で構成されており、「青」は上下真逆の方向性と異なる質でここも物事の両面を冷静に捉え考えていると言えますね。
この考えを基に右側に展開します。「ノ」で更に今必要な情報を素早く取りまとめ、続いてその上部より「フ」を書き「ク」となり、この上辺「一」では上からの新たな情報なり圧力を受け止め必要なものだけをこの範囲内に取り入れ勝気にまとめていきます。
更にその下に「ヨ」に似た部を書き、ここでは横からの情報も取りながら内では上下に仕分けし考えをゆっくり整理していく発想法となります。
そして最後に「ク」の真ん中下辺りから「ヨ」の真ん中を通る「亅」を書き「争」となり、囲いの内側はそれぞれ左右にも仕分けされます。ここは左に間口がありますので、整理したことを左方向に出していけるとも言え、こうしてきちんと整理納得した後、明快に勢い良く表現していくと考えられますね。
よって「静」とは、情報を慎重且つ生真面目に細かく整理し納得した後、一つのテーマに対してじっくり考えていく発想法を基本に持ちます。そして、その時々の状況に応じて情報を素早く取り自分のやるべき範囲を定め、しっかり確認し納得した上で勢い良く行動しているとまとめられますね。
ですから、常に慎重且つ冷静に物事をじっくり考え、自分が決めた方向性に対して自身がきちんと納得し最後まで強い意思を持ってやっているということがわかりました。
今回文字を分析するまでは、「静」という文字の印象は物静かでおとなしいイメージでしたが、実はその内には冷静さクールさを基本に持ち、更に自分なりにしっかり納得した上でのブレない強い思いを持った対応や行動であるということに気付くことができました。
今月も有難うございました。
2025年も早々から大きな地震があり、南海トラフに繋がる可能性は低いと発表がされても、やはり大地震に対しての不安は続きそうですね。
阪神・淡路大震災の発生から30年が経ちますが、あの時の記憶は今も鮮明に残っています。テレビに映し出された映像は衝撃的で本当に恐ろしかった。
救助が間に合わず助からなかった多くの命、命は助かっても今後の苦しみと向き合わなければならない多くの人達の姿に胸が締め付けられる思いでした。
私にできることなど何も無く、1日も早く1人でも多く助かりますようにと祈るばかりでしたが、もし自分が被災地にいたらどうなっていただろう。自分が無事なら救助活動できたのか、自分が生き埋めになっていたら助けを呼べたのか、冷静な判断と行動ができたのか今想像しても答えが出ません。
ということで、今月は「助」という文字を分析し検証したいと思います。
「助」とは、漢字ペディアには以下のように書かれていました。
①たすける。すくう。力をかす。
②主たるものをたすけるはたらきを表す。
③すけ。(ア)昔の官位の一つ。(イ)人の名の下につけて、その人の性質や特徴を表す語。
「助」
のぼかんで観ると、六つの形分けは「受け入れの形」
常にテーマ、相手を求める姿勢と同時に何度でも受け入れることを繰り返す。そのことが検証しやがて吟味する力ともなります。
字の理論で観ていきますと、まず「|」で取り入れた情報等を強い意思とします。次に「一」で圧力や情報を堂々と受け止めては検証し必要なものは取り入れ不要なものは流し「|」で三方を囲む「冂」となり、上や両サイドからの圧力等から内面を守ります。そして「冂」の中に「一」を二本書いて縦三つに仕切られ、この中に取り入れたものは周囲に影響されることなく守られながら第一段、第二段、第三段と時間を掛けて濾過するように整理します。また「冂」の中は、周囲に動じることなく自分の価値観や時間的推移により徐々に変化するものと観ます。そして、下部を左下から右上に向かって勢いよく跳ね上げるように書く「/」で閉じますが「冂」の枠から左右はみ出しているので、これまでに流したことも再度受け止めて、取り入れるか流すかの最終判断をしながら上昇志向で勢いよく展開に進みます。
まず「フ」の上部「一」で、さらに圧力や情報をしっかり受け止めて不要なことは流し、必要なことは「ノ」で革新の質により勝気に取り入れ、最後は左上方向に跳ね上げていますので、強い意思表示があるとも言えます。そして、「フ」の「一」の真ん中辺りに「ノ」を交差して書くことで、上部も含めて取り入れた情報を瞬時に左右に仕分けてチェックしますが、左下に向かう緩やかな曲線なので、自分に必要とするものは取り入れ不必要なものは流し、取り入れたものは自分の強い意思として粘り強く出し切ると観ます。
「助」を大まかにまとめますと、取り入れた情報を周囲に影響されず自分の経験則によって時間を掛けて濾過するように考えを整理し、より良い状況に向けてまとめた考えを再確認し、さらに新たな情報等を受け止めて、今の状況と向き合いながら明快な判断をして粘り強く行動していくこととなりますね。
助けてほしい側も助けたい側も、先ずは必要な情報を取り入れて、自分の経験則を活かして落ち着いて考える。そして、今必要なことが何かを冷静かつ柔軟に判断し、粘り強く行動することが必要かと思います。
周囲の状況に動揺して右往左往しては余計に混乱するだけですし、何の情報も無く安易に動いては助かるものも助からないですからね。
助けるも助けられるも命懸けの状況となった時は、冷静かつ柔軟にしっかり対応出来るよう心の準備は常にしておきたいと思います。
ありがとうございました。
私には数年前から心に決めている事があります。
それは昔知り合った一人の友人とこれから先をお互いに励まし合いながら、楽しく充実した人生を過ごしていきたいという事です。
そんな思いをあれこれ考えていましたところ、「切望」という言葉が合うのではないのかと思いました。
「切望」調べてみたところ
心から強く望むこと。強く望み願うこと。熱心に希望すること。切実に望むこと。
とありました。
そこで、のぼかん的に観たらどうなのかと思い今回は「切望」について文字の分析をしていきたいと思います。
「切望」
のぼかんの六つの形分けでいうと受け身の形となり、主張を決める為の情報を受け入れてから自分の考えをまとめる。それからの行動なり意思表示に移すと観ます。
次に字の理論で観ていきます。
まず「⼀」を書き、上からの情報や圧力を堂々と受け止めチェックし必要なものは取り入れ不必要なものは跳ね返したり左右に流していきます。
その後「⼀」の真ん中辺りから「L」をクロスするように書き、左右上下の仕分けと同時に一つの空間が出来ます。そこでまとまった考えを保守の質で規則やルールも大事にしっかり自分が納得するようにまとめていきます。
次に先にまとめた考えや意思を「一」で上からの圧力に強く現実的な情報をあるがままに受け止めては検証し、必要なものは取り入れ不必要なものは跳ね返したり左右に流していきます。
その「一」の右端から左下方向へ少し角度のある「亅」を下ろし、最後を革新の質で左上方向へ勝気に迷いなくプライド高く跳ね上げていきます。
次に「一」の真ん中辺りに「⼃」を書き、革新の質で瞬時に左右に仕分けし自己主張を持ちその状況に合わせた判断を明快にして左下へ思いを出していきます。
ここでできた枠内に自分の価値観や世界観をつくっていると観ます。
続いて「切」の考えを基に、まずアンテナ的要素の「ヽ」で上からの圧力や情報を取り入れその考えを下に「一」を書きその「一」の左から三分の一のところから「L」を書くことにより一つの空間が出来ます。そこでまとまった考えをまず「|」で強い意思を持ち「一」「亅」と続けて書くことで三方囲いの「冂」となり、その中に「一」を二本引くことで「月」になります。
この「月」は、取り入れた情報を上・中・下のように時間的推移のもと、これまでのことを整理していき自分の中でひとつのことを検証しその結果を下方向へ出すと観ます。
この「亡」と「月」は向き合うことから、「切」の考えに集中し検証していくとも考えられます。
次にその下へ上部からの情報を「一」で上からの圧力や情報を面全体で受け止め検証し、必要なものは取り入れ不必要なものは跳ね返したり左右に流していきます。
さらにバランスのとれた真ん中に「|」を書き明快な意思にします。続いて「一」を引くことで左右上下の整理をして情報をチェックし検証し、さらに「一」で閉じます。ここは接地面が平らなため、生真面目に自分が納得できるまで考え続けるといえます。
ただ、ここで出来た「王」は内側に情報を取り入れるとも考えられるので、内向していることでその考えが、理想論で終わってしまうこともあるかもしれませんね。
おおまかに「切望」をまとめますと、規則やルールを大事に強く現実的な情報をあるがままに受け止めては検証し、勝気に迷いなくプライド高く自己主張を持ちその状況に合わせた判断を明快にして情報を取り入れ、こつこつ自分の納得できるまで考えそれを整理することができ自分の価値観や世界観をつくって最後はきちんとやり遂げられると観ます。
つまりは「切望」は、まずは情報をしっかり検証し自分の価値観や世界観を納得できるまで考え行動をすることによって、諦めずに熱心に強く思いを持って自分の考えを相手に伝え届けることによって双方にとってより良い未来に繋がるのではないでしょうか。
「のぼかん」で「切望」を分析して、改めて私の気持ちや思いが届くように大事にそして丁寧に行動していこうと思いました。
ありがとうございました。
私は今の自分が未来を見据えたときに、今向き合っているものが本当にやりたいことなのか等を考えてはとにかくこれから先、何を選択していくにしても自分に正直に生きたいという気持ちが年々強くなっています。
誰かに合わせたり、なんとなく周りに流されたりすることは過去にあったのですが、最近は本当は自分はどう感じているのか?を観察し、自分の選択をするようにしています。
今月は「正直」という文字をのぼかんで分析してみたいと思います。
「正直」
のぼかん六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に忠実でいつでもどこでも状況に関係なく自分のスタイルを通すところがあると観ていきます。次に字の理論で観ていきます。
まず一画目「一」で周りの状況や今の自分の在り方において現状から逃げることなく係る情報を堂々と受け止め検証し取り入れるか、そうでないかを考えるとします。
「一」の真ん中あたりに垂直に「Ⅰ」を下ろし取り入れたことを左右に分けて状況判断をして意思を明確に持つとします。その「Ⅰ」の真ん中あたり右横へ短く「一」を書くことで上下の保守の質の展開となり、方針などを大事にする中、時間をかけてじっくりと情報を整理します。次に「Ⅰ」の左側に短い「Ⅰ」を下ろし、この空間についての内容を左右に仕分け、その下に「一」を引き、ゆるぎない姿勢とすると同時に自分の中で上下左右の世界に分けることで、情報をじっくりと生真面目に整理整頓してまとめる世界を構築するとします。
「正」で考えたことを「一」でありのままを受け止めその真ん中に「Ⅰ」をクロスさせ「正」の考えを左右上下の世界に仕分けしバランスの取れた考え方で整理するとします。
次に左下に「Ⅰ」を下ろし意思とし、上部より「一」「Ⅰ」と続けて書き直角的に三辺を囲み、そこに取り入れた一つのテーマを、囲みの中に「一」を二回書くことで時間をかけてじっくりと考えをまとめ「一」で閉め、内面で納得して探求を進めていく世界とします。その後、一拍置いて、「L」を書いてここまでの内容を客観視しながらも保守の質で基本のルールを大事にしながら、左の上から右の下に抜ける空間からあるいは右下から左上への空間から出入りする情報も参考にしながらも結果を出すときにはぶれない姿勢で堂々とした対応と観ます。
以上のことから「正直」とは、今ある情報をありのまま受け止めそれぞれ情報を手順に従い生真面目に検証し、取り入れたことに関してはじっくりと時間をかけて確認し周りの状況を見ながらも自分の価値観で行動していくありようを表現しているとも読めますね。
「正直」であるためにはある情報に対して逃げずに受け止める力と定めた手順に従い物事をとらえる視点を持つ必要があり、検証したことさえもシビアに向き合い、そのことをさらに探求して考え、自分の価値観で徹底するも、最後で周りの状況をとらえそのことも加味する必要があるため、正直に生きるにはそれなりの覚悟や状況対応が必要になることが文字の分析からわかりました。
自分に正直に生きるには環境も大事になりますし、表現も変化していくので常に自分に向きあう姿勢を忘れずに生きていこうと思いました。
今月の分析も勉強になりました。
普段何気なく使っている言葉に対して、その意味をあらためて考えてみると、わかっているようで実はきちんと説明することができない。つまりは実のところ理解できていないのだなと気付き驚くことがしばしばあります。
今月は普段何気なくつかっている言葉の中から「私」「自分」の文字をテーマとしたいと思います。
どちらも自身を表す一人称ですが、微妙にニュアンスが違う事は誰もが感覚として認識しており「私は~~」「自分の~~」とその時々で使い分けていらっしゃることと思います。
「私」に比べると「自分」の方が客観視しているようにも感じます。また、なぜか「私は~~」と言葉を発すると僅かな緊張を身の内に感じます。「自分は~~」の方が気が楽なのです。私だけでしょうか(笑)。「のぼかん」的にはどのような違いがあるのでしょうか。さっそく検証してみましょう。
「私」
「のぼかん」六つの形分けでは受け入れの形となり、常にテーマ、相手を求める姿勢と同時に、何度でも受け入れる事を繰り返す。その事が検証となり、やがては吟味する力ともなると観ます。
次に字の理論で観ていきます。一画目の「ノ」でたくさんの情報の中より必要なものを瞬時に選び取り、不要なものは流すと観ます。「ノ」の下、少し間を開けた位置に「一」を書き「ノ」で選び取ったものをしっかりと受け止め並べ検証し必要なものは取り、不要なものは左右から流すと観ます。続いて「ノ」の真ん中辺りより「丨」を書き明快な意思を持つと同時に「一」と垂直に交わる事により「十」となり左右上下の仕分けが生じ、この仕分けが意思とした事の背景にあると考えます。「十」の中心部より「ノ」を書き、意思とした事を前提にさらに勝気な展開を加えることで四つに仕分けた左下部分を二分し、この「ノ」とバランスを取るように「ヽ」を書き「禾」を構築します。「十」で自身の価値観に沿った展開により四つの仕分けをし、続いて「十」の下部分をそれぞれ二分する事で四つに仕分けた内容をさらに精査すると観ます。
精査した内容を前提に「禾」の右横に「ム」のような形を書き、精査した内容を毅然とした態度で表現・行動していくと観ます。「ム」の書き終わりの「ヽ」は表現・行動に漏れのないよう確認するとも、次に続けていくための確認とも言えるでしょうか。
まとめますと「私」とは、選び取った情報を周囲(世間・社会)と照らし合わせながら意思とした事の中より確実なものを毅然とした態度で表現・行動し続ける姿勢。と理解しました。
続いて「自分」を検証します。
「のぼかん」六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に対して忠実。外にも内にも何時でも何処でも状況に関係なく、自分のスタイルを通すと観ます。
次に字の理論で観ていきます。一画目の「ノ」でたくさんの情報の中より必要なものを瞬時に選び取り、不要なものは流すと観ます。続いて「ノ」の書き終わりの部分より「丨」を書き「ノ」で取った情報の中より必要なものをまずはの意思とすると観ます。続いて「¬」を書き三方を線で囲み、上の部分で新たな情報を受け止めると同時に対応の幅を定めると観ます。三方を線で囲まれた空間の内部に「一」を二本書き入れ、底辺を「一」で締め閉じ、空間の内部に取り入れた情報を時間的推移と共に上中下と自身の経験則の中で考えを深め、納得した事を意思とすると観ます。また空間は四方を線で囲まれていますから意思とした事、あるいは意思とする過程は外からは見えづらく、内からも出しづらいと観ます。
「自」で意思とした内容を前提としてさらに展開していきます。
「自」の下に「八」を書き、「自」で意思とした事の中より必要なものだけを「八」の内側に取り入れると観ます。「八」は入り口の部分が狭く、段々と拡がっていく末広がりの形である事から、取り入れたものを段々と展開・発展させていくと観ます。
「八」の少し下辺りに「フ」のような形を書き、取り入れ展開した情報を受け止め、不要なものは左右から流すと同時に対応の幅を定めると観ます。書き終わりが跳ね上がっている所に勝気さを観ます。「フ」の上の線の下側より「ノ」を書き「フ」のような形の内側を二分しながら勢いよく左下に向かって思いを出していくと観ます。
まとめますと「自分」とは選び取った情報を自身の経験則と照らし合わせながら時間をかけて検証を重ね至った考えから、さらに対応の幅を絞り込み勝気に明快に表現・行動していく事と理解しました。
時間をかけて納得した事柄をさらに的を絞り、やがて展開の広がる事が余裕となりひいては勝気さともなり、その前提での左右の識別を有することが明快さの背景にあるとも言えるでしょうか。
文字から観た「私」と「自分」を比べてみると、一画目はどちらも「ノ」すなわち「与えられた情報」ではなく「自ら選び取った情報」からスタートするところが興味深いなと感じました。そして最大の違いは選び取った情報の展開の仕方と言えそうですね。「私」は情報を展開(検証)する際に判断基準、意識が内外(内面、世間・社会)に向いている感性の字であるのに対し、「自分」は内(経験則)に向いている国構えの字であるところが二つの文字から感じるニュアンスの差と言えるのではないでしょうか。
たしかに「私は日本人です」とか「私は読書が好きです」など、他者を意識して対外的に自身を表現する際に「私」を使い、「自分のことは自分でやる」とか「自分の落ち度を認める」など、意識が内に向いている状況を指す時に「自分」を使いますね。
私が「私が~~」と言葉を発する時に僅かな緊張を感じるのは「私」という文字が感性の字すなわち囲いがなく、意識が内外に向かっているからなのかもしれませんね。
もしかしたら「私は~~」「私が~~」と何かを発信できるほど「自分」の考えに納得や確信を得れていないのかもしれませんね。
「自分」を見つめなおすいい機会をいただけたように感じます。
今月もありがとうございました。
私は自分が得意としないもの、苦手意識のあるものにはあまり近づきたくありません。可能なら手を出さずに済ませ考えないようにしてきましたが克服できるものならと意識を変えた途端、少しずつですが自分の周りに変化が表れ始めました。考え方、捉え方を変えるだけで状況が変化していくことは「のぼかん」と出会って何度か体験してきましたが、今も起こる変化に改めて驚きながらもワクワクしています。
その思いから今回は『変わる』の文字をのぼかん的に分析していこうと思います。
『変』
のぼかん六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に忠実で外にも内にも何時でも何処でも状況に関係なく、自分のスタイルを通すところがあると考えます。
次に字の理論で観ていきます。
一画目のアンテナ的要素である「丶」で周りの情報を取りチェックし、その下の「一」に並べると同時に新たな情報を加え堂々と受け止め検証し、必要なものは取り入れ不要なものは跳ね返すか左右に流します。「亠」の下部の左寄りに革新の質の「丿」を書き受け止めた情報から自分が必要と思う情報を勢いよく取ります。次に一拍置いた右側に「亅」を垂直に書き同じく情報を取ります。この先端を左側へ跳ね上げていることから「丿」の内容を客観視するとともにバランスを取りながら向上心を持ち、明快な意思を示すとします。三画目の「丿」の左側に短い「ノ」を書き勝気にこれまでの内容をまとめ、四画目の「亅」の右側に「丶」を書くことで取り組む範囲を定めると同時にここまでの情報を左中右と仕分け考えの構築に繋げます。
一拍置いた下部に革新の質の「ノ」を書き「亦」で構築した内容から必要なものだけを要約し勢いよく取り入れ、続く「フ」で自己と向き合い革新の質の空間を作ります。次に保守の質の「乀」をクロスさせ自身の価値観を大事にした上で作られた空間に大胆にまとめ、左右のバランスを取りながら柔軟に堂々と表現していくとします。
まとめますと『変わる』とは、周りの情報から自分に必要なもの、取り組むべきものは何かじっくり考え要約し範囲を決め、それを前提とした内面を見続けながら大らかに堂々と行動していくと観ます。
現実の状況における情報をきちんと知り行動に移す。行動しなければ何の新たな情報も入って来ないし状況も変わらない。それを実生活でも強く感じますし文字の分析からも見て取ることができました。変化を恐れるのではなく楽しんでいけるように、胸を張って進んでいこうと思います。
ありがとうございました。
私たちは何かを知り「簡単そう」「自分も出来そう」と取り組み始め、当初は「私にも出来た」と喜べますが、暫くすると行き詰まりそこからなかなか進めない事があります。簡単そうに見えて実はその先にまだまだ奥深いものがあり、そこが当初は見えなかったから一見簡単そうに見えたのではと思った次第です。今月はこの「奥深い」を分析したいと思います。
「奥深い」
のぼかん六つの形分けでは攻撃の形です。自分のやりたい願望が先にありやってみてから学ぶ姿勢。やってみなければわからないとの発想のある形です。次に字の理論で観ていきます。
まず短い「ノ」で今ある現状の中より必要な情報を取り明快な意思として「|」へ伝えていきます。次の「一」で上からの情報や圧力を受け止め検証し必要な情報は取り不要な情報は流し右側の「|」で明確な意思とします。この「冂」は三方が囲まれていますので周囲の影響を受けにくく自分の内で考える姿勢があるとします。その内に「ヽ」で取り入れた情報を素早く取り、次の「ノ」で「ソ」となり内の情報を集約すると観ていきます。この下の「一」で集約した情報を検証し、この真ん中に「|」を通し上は四つに仕分け、クロスした左下に「ノ」右下は「ヽ」と書き下も四つに仕分けるとします。この「米」は左右対称の様な文字のため全方位バランスよく細かく検証するとし、またアンテナ的要素のため常に情報の受発信をするともなります。しかし三方囲いの中にあるため、その内に入れた情報について常に検証を繰り返すとなりますが、その様が外からは解りづらいと観ます。この下に長い「一」を書き、これまで検証した事をそのまま受け止め、この真ん中辺り上から「ノ」をクロスさせ「冂」の内で検証した事を勝気に表現しようとし、このクロスした所より右下に「乀」で左右バランス良く展開すると観ます。左右共に曲線ですから大らかに堂々と伝えるとも観えます。
この「奥」の考えを次へ展開しています。まず「ヽ」で「奥」からの情報を素早く取り、この下の「ヽ」で周りの情報もチェックし更にその下に「レ」を書き、上部二つの情報を受け止めつつ右上方向へ跳ね上げていきます。これは、保守の質の方向性によって、保守的な発想法を基にして更に向上心を持った強い意思を持つと観ます。
次の「ノ」で必要な情報を素早く取り続く「一」で「奥」の情報を受け止め検証し「ノ」と続け「冖」となり取り組む範囲を決めるとします。その内に「ノ」で勝気に取り組む姿勢を持ち、その右に「乚」で反対側にも大切に取り組もうとする姿勢があるとします。この下に「一」で今までの事を全て受け止め、この真ん中辺りに「|」を通し、左右上下にキッチリ仕分け整理します。クロスした所より左へ「ノ」で方針を決め、右へ「乀」を書きバランス良く広げ、この「木」の下左右の範囲を下方向に示していくと観ます。
大まかにまとめますと、今現在の状況より必要な情報を取り入れ自分の内で常に均等に細かく何度も検証します。外からはその様子が解らないがその結果は堂々とアピールし更に周りの情報を取り入れ内で検証し仕分けその納得の世界をバランス良く行動に移すと観えてきました。
つまり、「奥深い」とは、自分の中で考え育み大まかにまとめた事を更に追求し徐々にあらわになる世界を表していると言えるのではないでしょうか。
文字の形を分析する事で、文字の意味をより深く観る事ができました。
今月もお読みいただきありがとうございました。
「わぁー、きれい」と言いながら美しい夕焼けを眺めている時、そういえば「思わず息をのむ美しさ」という表現があるな、と。
この様に思わず声に出すことはよくありますが、息をのむ時って相当のことだと思い「息」の文字を分析してみようと思います。
「息」
のぼかん六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に忠実で外にも内にも何時でも何処でも状況に関係なく自分のスタイルを通す一貫した姿勢があるといえます。
次に字の理論では、一画目の「ノ」で周りにある情報を素早く取り、その中から必要なものを取り不必要なものは流し、その書き終わりに「|」を書いて取った必要なものを全てそのまま受け取り、その上部からの「―」で上からの新たな情報や圧力を受け止め検証すると同時に取り入れる範囲を決めるとします。続けて「|」で三方を囲み検証したものを入れ、その空間に「―」を均等な幅で二本書き入れろ過する様に上中下と時間をかけて吟味し「―」で閉め周りから守られた内面で考えをまとめるとします。
次に「自」の考えを基に左下に「ノ」を「自」より外の位置に書くことで内面の世界範囲外の情報をも確認し、その右側に曲線の「乚」を書いて「自」で考えたことを目一杯受け止め柔軟に対応し上に跳ね上げ向上心を持つと考えられます。その「自」と「乚」との空間に「レ」を書いて常に内面の考えと向き合いながら考えを確認し、さらに「自」より外側に「\」を書いて外の空間を確認するとします。この「心」は「乚」の長さを変えたり「レ」や「\」の位置を変えたりと自由性があり臨機応変に物事に対応するとも考えられます。
大まかにまとめますと、まずは周りの情報を素早く取り検証し、続けて新たな情報をも検証して内面でそのことを時間的推移により上中下と理解を深めながら考えをまとめます。そして周りの状況を確認し自由に柔軟に対応すると同時に常に内向している一面もあると考えられます。
つまり、内面でじっくりと考えたことを常に意識しながら外にも目を向け自由性があると観れます。
分析をしていて思わず息をのんだ光景があったことを思い出しました。その時は一瞬息が止まり、息を吸わないと、と意識した瞬間でした。普段は無意識にしている「息」ですが、息をのんだ時は「ノ」で吸い「目」で吸ったものがろ過され止まったままで「心」にいってから吐き出されるまでの時間差があるように感じられました。
目の前のその事を見つめ余りにも感動を覚えた時、その感覚に集中し切った時、つい息をするのも忘れた一瞬だったのかも知れません。
こうして分析に挑戦してみると、改めて日本語の意味やその活用の仕方の面白さを思いました。
毎月20日に開催される上先生の特別講座の本年度のテーマ「個を知り叶う世界」での開催も残り2回となりました。このテーマでの一年、私という「個」を知り自分自身と向き合う一年でした。
今や情報であふれる世界が当たり前であり、新たな情報に刺激されてもいかに左右されずに自分はこうでありたいとの自分軸を持つことができた事が、私の中の「叶う世界」になったと言えそうです。
「叶う」は見たままの通りとてもシンプルな字ですが、果たしてのぼかんを通して観るとその世界観はシンプルに表現できるものなのか「叶う」を今回のテーマとして文字の分析をしていきたいと思います。
「叶う」
のぼかんの六つの形分けでは受け入れの形となり、常に相手やテーマを求めると同時に情報を何度でも受け入れては流すことを繰り返し、その事が吟味する力ともなると観ます。
次に字の理論で観ていきます。
まず「|」で上からの情報や圧力を疑うことなく受け入れ、まずの意思とします。続く「一」「|」と書き三方向を囲い、新たな情報や圧力から検証した事やこれまで得た情報を全て取り込み、「冂」の下に「一」を書く事で「口」となり、その空間は仕切りのないことから取り込む大胆さや雑多にも見える様であるとも言え、またどこから観ても変わらぬ面は自分の世界観を守る堂々とした考えであるとも観ます。
「口」での考えを基に「一」を書き上からの情報や圧力を堂々と受け止め検証し、必要なものは取り入れ不要なものは跳ね返したり左右に流していきます。「一」の真ん中辺りにアンテナ的要素の「|」をクロスさせ得た情報は瞬時に左右上下の世界を作り細かく仕分け整理し、明快な意思として表現すると観ます。
「叶う」とは取り入れ受けとめた情報や圧力は大まかでもきちんと保持しており、状況を理解しながらも周囲に左右されない考えを持ち、それを前提として情報の受発信に長けあらゆる視点からの情報を冷静に分析し理解し、その事は揺るぎない意思として表現するものだと理解しました。
「叶う」は考えとする世界が一見大まかであるが故に傍から見たら「一体どれなんだ」と一貫性のないものに見える場面もあるかもしれませんが、叶えたい根本的な考えは変わらず、その雑多に見える情報は、その時々の需要やタイミング次第で冷静な判断の基、確固たるものとして願いどおりに「叶う」になるのかもしれませんね。
シンプルに見えた「叶う」は文字を通して観ると「口」の中は整理されていない世界観であり、意外とシンプルではないのだなと理解し、このことを現実に置き換えると叶えたい事の取り込む情報を意識的に減らし、優先順位をつけることで考えが整理できブレない確たる方針となり「叶う」までの道のりも短くなるのではないかと言えそうです。今回も面白い分析と発見になりました。
今月もお読みいただきありがとうございました。
昨年、たくさんの方々と出会い名刺交換が出来ました。
ここでのご縁を大事にして、仕事の上できちんと活かし展開していきたいと思い、今月は「実」の文字を分析していきます。
「実」
のぼかん六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に忠実で外にも内にも何時でも何処でも状況に関係なく自分のスタイルを通すとし、本人的には不器用と思うと観ていきます。
次に字の理論では、一画目の「、」で自分の周りの情報をチェックしてその左に書く「丨」で意思としその上より右に「一」を書き、現実的な圧力を受け止め検証し、その右より下へ鋭角に「ノ」を書き確実なものを取り入れようとします。
構築された「宀」の中の情報を続く「一」でチェックし、同時に独自の空間を作ります。
一拍置いて横からの情報を取り入れながら先ほどの平行にほぼ同じ長さの「一」を書き再度チェックし、更に一拍おいて今度は長い「一」でここまでの全体を受け止めるかの様に確認チェックをします。この三本の「一」のそれぞれの空間のタフさから粘り強く検証し対応するとします。
その後「宀」の中の情報をもとにここまでチェックした「三」を「ノ」でもれなく繋げ、左下方向へ行動に移していきます。更にその「三」の下あたりから全体のバランスを取るかのように右下へと「乀」で払いまとめていきます。
大まかにまとめますと、自分の周りの情報をチェックしながら取り組む範囲を決めその中できちんと検証し納得を重ねて、その事を自分の中でまとめまわりにはわかりやすくバランス良く展開していきます。
ですから、自分の納得する情報に沿って、できると決めたらその事に対しての想定準備をきちんとして行動していく事とまとめられますね。
その結果が「実」になり花が咲くとなるのですね。
今回文字を分析してみて、昨年の種まきは「実」になったとしても花が咲いてしまえばその件は終わってしまうとなりますので、常にコツコツと畑を耕し種まきをしその個性に応じて丁寧に水やりや管理をする事が必要だとわかりました。
ご縁を頂きましたお一人お一人の方を大事に、皆さんと一緒に更に向上していきたいと思います。
ありがとうございました。
「生(せい)」は私の名前の一文字で身近でありながらも、現実は生きる事の難しさに悩まされ、私なりに日々を一生懸命生きています。
「のぼかん」の学びを通して、この「生」の文字を何度観ても難しく感じている事と、今年の自分の「文字の再発見」のメインテーマが「誰もが共通している文字」とし、そこから毎月のテーマを考えていきますので、今月は「生」の文字を「のぼかん」で観ていきます。
「生(せい)」の辞書的な意味合い
いきる、生きている間。命。いきているものなど
「生」
のぼかんの六つの形分けでは直情の形となり、自分の価値観に対して忠実。内でも外でも何時でも何処でも状況に関係なく、自分のスタイルを通すと観ます。
字の理論では、一画目の「ノ」でまわりにある情報から瞬時に自分にとって必要な情報を受け取り、不要なものは流します。この「ノ」の内のほぼ真ん中あたりから右横へ書く「一」で「ノ」についての現実的な情報を受け取り並べ検証し同時に上からの新たな情報をも受け取り検証し、不要なものは流します。
「一」のほぼ真ん中に直角に交わる「丨」を書き入れ「十」とし、ここまでの内容を左右上下に仕分けものごとの両面の質を繰り返し考え揺るぎない意思とし、上の状況や情報を常に意識します。
「十」の下に先程の「一」よりやや短い「一」を平行に書き入れ、左方向の革新の質と右方向の保守の質両方の要素の仕分けを持ち、今までの情報を生真面目に集約します。最後に先程より少し長めの「一」を書き、全体をどっしりと受け止め検証し上方向へまとめていきます。
大まかにまとめますと、瞬時に情報を取り入れその事についての現実的な情報をしっかり検証し上からの新たな情報も取り入れつつ検証し不要なものは流し、それをバランスよく生真面目に何度も仕分け頑なな意思としながら集約と精査をし、常に上からと左右からの情報にも敏感に反応し、バランスを考えながら揺るぎない意思とすると観ます。
ですから「生」はこの世に生を受けてからの現実にあって、常に先に意識を向け、そこにある情報より向かう先を自身で拘りを持ちながら選択しバランスよく対応していくとなるのですね。
しかし真っ直ぐに将来の夢や希望に向かい進んで行きたいと思っていても、現実の様々な圧力や状況の変化等によってこのバランスを何度もとるところが迷いとなると、なかなか思い通りに出来ないもどかしさともなり、ここが生きる難しさにつながるのではと思います。
「のぼかん」で学んだ「人間生まれてから生を終えるまでの図」の通り、先に向かう時間軸があり、どの人も圧力を受けながら先に上方向に向かう中で個々にある数々の情報をしっかり理解し対応しながら自身の拘りを持って歩み進めて行くのが、生きるというのですね。
改めて「生」の文字を分析の姿勢で取り組んでみると、これからをどう自分が生きて行くのか進むのかと、決めた自分自身の選択を大切に日々を送ろうと考える機会となりました。
ありがとうございました。
正月が明けて一ヶ月間が過ぎましたね。
子どもの頃は、時が過ぎ行くのが長く感じましたが、不思議ですね、年を重ねると早く感じるようになりました。
辞書で、時とは「過去から現在へ、更に未来へと、とどまることなく移り流れて行くと考えられる現象」と記載されているように、今と昔、時の流れは変わらないはずなのに、一体何がここまで感じ方を変えたのでしょう。
今月は「時」の文字をテーマとします。
「時」
のぼかんの六つの形分けでは受け入れの形となり、常にテーマや相手を求める姿勢と同時に何度でも受け入れては流すことを繰り返すことで、その事が検証となり吟味する力にもなると観ていきます。
字の理論では、周囲の情報から必要と思うものを一画目である「|」で取り明快な意思とし、更に「一」と「|」で三方向囲う事により、上や横方向からの情報や圧力を堂々と受け止め検証します。
構築された「冂」内側の広々とした空間の真ん中に「一」を引くことによって上下に分け、時間的推移により取り入れた情報を経験則と照らし合わせながら理解を深めていきます。その下に「一」を引くことにより、直角性を意識した「日」とし考えた事を内でまとめます。
「日」でまとめた内容についての現実的な情報を次に書く「一」の全面で受け止め並べ検証し、その真ん中あたりに「|」をクロスしアンテナ的要素の「十」とし左右バランス良く全体をチェックしその情報を左右上下に仕分け、それを長い「一」で受け止めまとめ揺るがない意志を確立します。
更に、その下に「土」の揺るぎない意志に沿いながら平行に「一」を置き再度チェックし、その線の長さに対して2/3位のあたりに「亅」を引き情報を内に寄せて余裕を持ち、その内容を内側に跳ね先程の「日」の基本姿勢との確認をもします。
最後に「丶」を書きここまでの内容のチェックと確認をします。
おおまかに、「時」をまとめると、常に情報や圧力を受け入れ検証を繰り返し吟味を重ね、取り入れた情報は、誰にも見えない・見せない世界を構築し、その中では経験則に照らし合わせながら一つのテーマを上下に整理し、ここは生真面目な判断とします。
その基本に基づき情報の受発信をし、知り得る限りの情報の理解をしまわりとのバランスをも考え対応しながら、少しゆとりを持ったところで良しとします。
つまりどの人にも平等に一秒一秒と時が過ぎ年を重ね、その今立ちたる位置での状況に合せた立ち居振る舞いをしながら、それもいずれ自身の経験として、人は生きていくのですね。
若い頃、学生時代はまわりと同じ学びや遊びをしていたから、自分の意思で動いていないのもあり時間が長く感じ、年を重ねた今は、自分は自分、人は人の様に自分の人生は自分で考え歩んでいかないといけない分考え進む時間も増えたので、一日が過ぎるのが早い、時の過ぎるのが早いと感じるのかと分析をしてわかりました。
これからも自分が望んでいないことも少しずつ対処できるように、まずは取り組んでみて時間調節をはかりながら、自分の経験に変え安定感を増していきたいものです。
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