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のぼかん

のぼりです

 「仲間」

「個」で考え生きる事と、「仲間」を持ち研鑽奨励しながら生きる事と、あるいはその「組織」の意義に則り忠実に生きる事。どれもが現実には厳しい世界ではあるが、ここまで「個性とは何ぞや」と問い試し、「個」の認知こそ活動や物事の基本なり、を謳ってきた身には、その世界観の実践がこの社会に位置づいていない現実に愕然としてきたものです。

数年前の夏のある会合ゲストとしての参加の後、珍しく主催者に引き止められ食事とお茶を共にした。
基本的には仕事や用事が終われば真っ直ぐ帰るタイプなので、その事は皆さんわかってもらっているから、誘われる事も滅多にありません。
そんな中であまり抵抗する事なく誘いを受けたのは、何の気紛れだったのか自分でもおかしいのだが、彼の様子に朝から気になる一面を見ていたのもあるかも知れない。
だから、直ぐにその事をぶつけてみたが、イヤ特に何もないと言う。
そうか、なら気を回し過ぎたなと入った和食屋のメニュー表に興味を戻す。
酒好きの彼は調子良くビールの杯を重ねていくが、心なしかそのピッチが早いように思う。
飲まない私は食事が終わるとだんだんと居心地が悪くなる。
30分ほど辛抱したから、よしもうお開きにしようとなり会計も済ませて外に出ると、さっきの会合の人間が三人店先で待っていた。

なんだ、やはり何かあったんだなと思い彼をみると、そうです重大な相談があるんですと言う。
まったく、お腹もくちて帰る気満々の身には、いろんな意味のため息が出る。
こんな手間暇かける程の内容なんだろうな、と腹の内で毒づきながらも、仕方なく近くの喫茶店で向き合う。
20分程にまとめた彼らの計画と、それに向ける情熱話を真剣に聴く。
若いといっても壮年にかかる年代の彼らにとっては、未だ重大な相談内容ではあるが、正直言って私にとっては既に答えの出ている話であり、譲歩をしても範囲の定まる話しでもあり、どこが重大かサッパリ理解出来ない。
話しの終わりにその事をぶつけてみると、私だからとにかく事の判断をしてくれると思い、また必ずそんな説教もされると覚悟はしていたと言う。
何だ、自分らに係る案件には右往左往するけど、私の言動は読めていたとでも、と嫌味を言う。
そうも言われるだろうと考えましたと返ってくる。
これを繰り返されるのも癪だから、追及はそこそこで切り上げ本題について同調出来る点と、欠点として思う事の数々を話し説明する。

彼らの年代の普通な発想なのか知らないが、胃が痛くなるくらい考える前に、仲間に相談、家族に相談、終いには絶対何か示してくれる人に相談と。
確かに経済的にも恵まれいい学校も出て、礼儀正しくて品もいいけれど、何かが欠けている。
嫌、皆なこんなものですよと普段のプライドはかなぐり捨ててでも、胸中をさらけ出せる彼らの方が、私にはある種のスケール感の大きさを思わずにはいられなかった。
そう一人で一人でと考え生きて来た私より、そこに選択の広さを持つ彼らは大物なのかもと、そんな思いも一瞬脳裏をよぎる。
やり取りの結果で満足された反応だけで素直に喜ぶほどウブではない私には、こんな内容だけではないのではとの思いが消えぬままではあったが、まあいいと言うならいいだろうと席を立つ。

私は大人のそれも複数人の相談事でも、即座に全員の名前がわかればその「個性」を理解して臨むから、彼らの想定を越えたところで質問を受ける。だから嘘や隠し事はさせないし、その事の無駄は先に伝えておく。
無論そうは言っても、意図して隠す事を追及する気はないから、言わなきゃ事が終わりませんぜ、と思いそのレベルで付き合って終える。
何の相談でも係る全員の「個性」がわかっていればその「答え」を出すのはそう難しいとは思わない。
だから隠せば本人の解決が遠く遅くなるだけだと常に思っている。
それは礼儀や分別の類ではなく、「のぼかん」で事を解決する際の必須であるからで、高いお金払って相談しても、あれもこれも秘すところから入る「人」の解決はまどろっこしいという事。
そこに「のぼかん」の理論で観るという根拠があるから、出来るだけその事を理解された上で臨んでもらうと大いに気分もいいし、事はスムーズに行くという事です。
だから仕事の内容を個人的興味も交えて向き合うなんて、双方にとって「害ありて益なし」なんですね。

こうした無駄はしない、という年頃になった私ですから、それが側からは厳しいと思われていても、実際の心境としては「のぼかん」で徹底的に試し追究してみたい、だけなんですね。
確かに歳の功でそれが許されてもいるのでしょうが、自分の心境の揺れは自分で受け止め越えてみたいと言う気質ゆえなのです。
前進を分かち合い歩く仲間がいたとしても、少し油断するとその「個性」までを委ねる結果にもなります。
だからと言って「我を張り続ける」事の甘えも実は滑稽にさえ映りますから、人はその胸に確たる論拠、根拠をと誰もが願っているのだと思います。

こうして23年「のぼかん」をやって来て、常に行う客観的判断を経ながらのその論理性の確かさの確認も、「のぼかん」の為と自分の為が混じり合いながら、自身の芯とあるのは間違いありません。
酒に誘われればつい気も動きますが、帰ってやる事明日の備えをと考えれば、そこに費やす時間も隙間もないのです。
それが彼らのように「仲間」で全てを共有し合う関係でいると、「個性」を抑えて付き合ったり頷いたりと、善きにつけ悪しきにつけて作用する結果に一喜一憂してしまうのでしょう。
だからと言って「お一人様の勧め」なんてしませんが、人の生き方の難しさと言えば綺麗事で、自身で考え解決し進む、この原点に少しは立ち返ってみたらどうかと思ったりします。
紳士達でありその頭脳や情熱に期待もしていますが、世の中の流れに生きる前に「自分らしさとは」と、たまには振り返ってみたらと思う次第です。

ゾロゾロと駅の改札口まで見送ってくれました。
そこだけ年寄り、先輩と労わるのかと、また皮肉の出そうなのを飲み込んでその日は解散となりました。
若いうちはいろいろ試してみるといい、そのうちどこかでやはり「個ありて仲間なり」となるだろう。そこから自身に向き合う道のりはまた実に長いよね。

早くそうなるといいと思います。体力のあるうちに。









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      N.Kさん、M.Hさん



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