「ある日突然に」
何やらドンドンと玄関の扉を叩く音がする。
時刻は夜の9時、インターホンがあるだろうにと、呟きながら鍵を解く。
年齢の頃はわからないが、そこには南米系の女性が立っている。
頭をちょいと下げ礼を整えて、隣の〇〇さんはもう居ないのですかと訊いてくる。
3階建てで各フロア2軒、1階はテナントだから居住区は計4軒のみの小さな集合住宅。
ここを住まいとして約30年になるが、つい昨年までは私より古く長い居住者が2軒あった。
何十年も住んで4軒中の3番目、住宅に対していつまでも新参者気分は消えなかったが、この一年の間にお一人去られ、つい先月日系ブラジル人というお隣も越していかれた。
彼の見た目はまるっきり日本人、しかし表札に日本語とカタカナの混ざった名前があったから、そうとわかったが、ひとまずご挨拶という時、とても寡黙で真面目な印象を強く持った。
そこからの年数でも顔を合わせるのは年に2、3回、その度に互いに会釈は欠かさないけれども、おはよう、こんばんは、以外は発しない。
そんな感じの満ちた建物だったから、人を極力避けたい心境でここを選んだ私には、申し分のない環境でもあった。
ある日の夕方帰ると回りが騒々しい、するとお隣の引越しに若い南米系の人達が男女10人ほどで手伝いに来ている様子。
一瞬これで自分が一番古くなったと思ったら、急に焦りにも似た寂しさを覚えた。
遠くから見つけたお隣りさんを見ると、いつもの物静かな印象とは異なり、厳しい表情でテキパキと手伝いの連中に指示を出している。
ふと目が合う、黙礼を交わし合ってそれっきりとなったが、ただのお隣りさんも長くその存在を認めていると、去られていくとこんな感情にもなるのかと少し気分が落ちる。
『そして別れは突然に』
そう、彼がいつからここに居たのかは知らないが、無論その私生活ぶりも知らないが、遠くブラジルから働きに来た、という知識しかなくても、何かの縁でお隣り同士となり、互いに余計な接触を避けるかの様な心情が伝わると、妙な安心感と共にこの年月を過ごして来れた。今時の外国人移民問題がない頃の話しで、私にはとても安心のおけるお隣りさんであった。
目の前の女性はそのお隣りさんを訪ねて来て、その所在を聞けるものならと扉を叩いたようだが、わたしは全く彼の事情は知らない、知っているのは名前だけで、移動には自転車を使いいつも背筋をピンと伸ばし漕いでいたという事。
大声を出すのも聞いていないし、自炊する彼の週2回位のニンニク料理の匂いには辟易させられたが、息を止めてやり過ごせば済むので、溜まる不満とはならなかった。
だけど最後の日に見た若い人達に指示する彼の眼つきは厳しく、静かに発する言葉の鋭いのは伝わった。
出るとこに出ればやはりただ者ではないなと、先祖の故郷とはいえ、遠い国から来て何十年も働きながらも、そのコミュニティでは私の知らない面を多々発揮され、長老的な年齢となった今、次なる次元へと彼は旅立ったのだと思った。
彼女への返事は首を振りながら、何にも知りません。すると少し感情的になりながらも、辿々しい日本語であれはこれはと訊かれるが、首を振りながら何も知らないし、わかりません。溜め息を吐いて肩を少し落として、それでもまた礼を整えて帰っていった。
扉を閉めて灯りを落とし自分の定位置に座ると、ここまで知らない者同士で過ごした何十年間のその最後に、凝縮された様な彼の実態の片鱗を突きつけられた様な気分にもなった。
彼のその特異性の解き明かしの糸口を見たというのか、それとも長い時間を隣り合わせていた事実の一端として思うのか、僅かな混乱ながら、ふと『なるほど』と口にする。
何がそうかともわからないが『なるほど』で完結にしようと思った。
こうしてこの住宅の一番古い住人になった私は、次は自分が出ていかなきゃいかんのかなと、少し切迫した気分も芽生える。
そういえばと、10年前の仕事の話しを思い出す。
4人兄弟の長男さんが亡くなられた会社で、社長の父親が落胆しながらも後継者を再度決めなければと、相談を受けた。以前父親の兄弟と我が子のどちらを後継者にとのテーマで相談を受けていたが、様々な議論を経て自他共に長男が後継者と決まっていたから、その混乱ぶりは想像に難くないと思うが、それでも会社は生き物。
早急に次なる段階を踏まえていかねば始まらない。
すると次男三男四男との会話で共通したのが、次男さんの変化。
無論次男さんは兄が居て会社では兄が後継者と疑うこともなかったから、自分は好き放題むしろ自分の立場では、誰もがやらない事をやって、会社に貢献すると考えやって来たが、兄が居なくなった途端、自分が一番年上と自覚すると、後継者と決まったわけではなくても、会社や家の本筋を担わなきゃいけないのだと、強烈に思うようになって来た。
以前「のぼかん」で聞いていた内容の意味が今ようやく知れた気がします。
兄のお陰で過ごしており、兄の傘の下で自分のポジションを好きな位置で、理由付けさせてもらっていたというのがよくわかりました。
本筋をしっかり果たす事を踏まえて、組織の活動やその未来があると思えば当然の事なのですが、生まれながらに2番目の位置でしか見てなかった分、兄の存在、その立ち位置の厳しさ難しさを思うと、本当に兄には感謝しかないし、至らぬ自分を情けなくとも恥ずかしいとも思います、と言う。
この言葉の後に三男さん四男さんも異口同音の感情や心情を吐露された。
その結果をもって父親社長に報告した。後日すんなりと次男さんが後継者となった。
私の出る幕は実質なかったのだが、この仕事はこうして身内当事者で話し合い決まるのが、何よりも望ましいものなのです。
居るからこそ思える事、居なくなったから知り思う事。
いずれも個性は違えどその当事者として生きる身で、その環境や状況の違いより全ては始まりますから、途中の変化の有無がそこに大なり小なり影響を与えるのは当然として、私達の普通の営みの中でも、多くの疑問や不満や納得や理解を経ながらその道を歩いて行っているのですね。
「人は生きながらにして、大切なものを少しずつ失くしていき、そこから改めて人生の意味をも考え知り理解し始めていく。」
長いようで短いようでそれでも重い人生の日々の息遣い。
せめて重たい息は吐き切る術を知ってでも、少しでも軽やかな心持ちでこの先を過ごしていきたいものです。















