『普通の人』
ある日呼ばれて行った先でほぼお役目も果たしたかなと思う頃、元来どういうご性格でしたかと質問が飛びます。どんな性格でどの様な家庭に育てばこの様な考え方を見出せるのか、と『のぼかん』創作の以前の有り様に興味がいくようです。
まさに世の中には多くの個性やキャラクターの人が居て、いやいや厳密には一人として同じ人は居ないのだけれども、それでもその分類項に応じて当てはめると、君はこちら貴方はこっちと振り分けられるものであり、無論各項に重複するのもまた当然だ。
例えば明るい人、爽やかな人、おとなしそうな人、何となく暗そうな人、社交的な人、偉そうに振る舞う人、一人でいる事を好みそうな人、等あくまでも見つめる側の尺度に依るが色んなタイプの人がいるものだ。
そしてこれを自分に当てはめると、幼少期から小学生位までは、知識がなさ過ぎて人の輪に加われず、一つとして自信がないから内気であったが、嫌な事は嫌とは応じていた。だがその理由はと問われると上手く答えられない、だから高学年の頃は答えないのを反抗とも見なされ、皆の前で教師に叩かれる事は何度もあった。
異常な教師とも思えたが今考えたらこの答えない児童は相当生意気と映ったのだろうと思う。
これが中学に上がる頃から、内気で大人しい雰囲気が少し知識や物事の意味の理解を増やして、ちょっと自信を感じると意思の強い人間として映り出し、見た目の雰囲気も足してその印象が定着したようで、何となく自分もそんな感じの人間なのかなと合点がいくようにもなる。
青年になると、生きた環境にも依ったのだが、大人しいが尖っている奴で知られて、誰もが近づかないし、自分も必要以外は人に近づかない。
そしてその当時の事業に失敗して、さあまた違う環境としての大変さに直面しても、近寄り難さは同じでも、自分の内面はその失敗で打ちのめされ続けるのだが、誰にもそれは伝わらないし、伝え様もない。
そこを何とか凌いで生きて来て壮年になり、今度は原因不明という病気に罹り以後十数年苦しむ。直後は身体は元より、内心までもが七転八倒するのだが、誰も近くに居ないし居てもらおうともしない。
それでもまあここまで色んな事があり、つくづく人間というのは一元の単純さで生きられるものではなく、経験しなきゃ分からない事があるものだと、どんな境遇下であっても妙になるほどなるほどと人の複雑さ社会の広さ深さの実態に興味は持って来た。
そして人はこんな様々な状況に対応する凄い能力を持つんだと結論付けると、途端に人生とは面白いのかも知れないと、初めて社会に身構える事を解く気が芽生える。それが四十五才の頃そうこんな歳を取ってから初めてそんな心境になったものです。
もちろん思っただけで解くまではないけれども、そう思える事は、自分としては凄い気づきであり感動ですらあるんですよ。
冒頭から述べる様に結構、ほぼ一人の頭だけで考えて生きて来たから、側から見ると何を今頃と思われる位気づくのが遅い面もあるのです。それでも一人気づく感動もまた恐らく側にはわかって貰えないのでしょうが、ほんの一瞬ですが大感動でもあります。
そしていよいよ老人の部に突入しますと、身体のアチコチが正にガタが来るんですね。
その治癒とて見えないガタとこの先きちんと付き合いながら行くしかない、とまあここまでは経験済みでその先はまだまだ初心者であるという訳です。
そう私は大人しい内気でスタートしたけど、結構それなりに自らに打ち響く事をそのままを受け取り、なるほどなるほどと来た訳で、自分なりには呑気で根は明るいタイプと評価しています。
でも根っこは明るくても外には発光しないから、客観的に見て好んで自分が自分と付き合えるタイプかと考えれば、ちょっとパスしたい厄介者と映るのも事実、そういう観点から周囲には理解され難い人物と映っていたのはなるほどねと合点がいきます。
すると人は生まれ落ちてから親なりの保護下にある間と、自立してからの環境的変化による自意識の湧出との差は歴然としてあるけれども、冷静に考えると誰もが今現在を『根っこの部分からの成長の果て』と言えるのです。
つまりはその個性は元来より変わらず、現実の情報に対しての自身の解釈や理解次第で明るくも暗くも現す成りで、それらが過ぎたり足りなかったり、また長い時間の果てには偽ったり演じたりと、立派な役者然とも成り得るとも言えるのでしょう。
それは例えば子を持つ親として、ハナから子に幸福の道をと願うのは親心であり大人心であるのは間違いのないところでしょうが、その事が苦いのか美味いのか悲しいのか嬉しいのかは、どこか防ぐ物とてないその場の風に真正面から受け止め耐えるからこそ知れる、その人だけの価値であり感覚であるはずです。
だからこそ生きる環境が例え大家族であろうとも、一人立つべき時は立ち歩き進んでみてこその、自身の知る事実であり現実なんですね。
そういう意味では親として大事だからこそ護るけれども、立つべき時は背を後押しする位の大人としての『自信』を持たなきゃなりません。
そうしてこその『大事な子』となるはずです。
世の中には実に多くの人が多くの場所に生きています。学問のお陰でどの県は人口何人、県都は何市とか、周囲の県はどこそこで何の産業を持ち、どんな特長を各県有しているとか習いました。今はその時代よりインターネットでより細かい情報を居ながらにして知り、まるで知識で備えあれば恐るる事なしの感もありますが、実際にはあくまで上っ面の知識だけであり、そこの県に行かなきゃそこの県の実際はわからないし、しばらく通して見続けないとまたその実態はわかりません。
昔、『百聞は一見にしかず』と習い、成長してその言葉を実感します。
今の子はその単位が我々の時の一万倍はあるのでしょうが、それでも読んで聞いて知った知識であり、現実のそれとは何処までいっても異なります。
正に何年間という時間さえかければその事がわかるのですが、わかってはいるけれども、今何とかして自らの手で力で出来得る限り教え導こうとするのが、親心ではあるんですね。
その事が長い目でみて判別出来ればその親子に賞賛こそありますが、どうやら世の中はそうは行かないようですよね。
その根本に昔から『個性を知らずして』、親としてのその情熱の多寡がその能力が親の価値と称された時代背景、社会の常識も存在し続けてもいるのでしょう。
今は違います、『個性を知らずしてその法無し』と、一億各個性認識の風潮は確実に根付き脈打って来ています。
親心あればこそ知るべき子の個性として『大人学・のぼかん』の存在も社会に認知されて来て、ゆっくりでも着実にその活動を続けられています。
こうした新しい時代の新たなる変化の連続も、そこにきちんと論理的裏付けを理解して知ることの大事さも広くお伝えするものです。
玄関までお送りいただきながら、先ほどの質問者が笑顔でごく普通の方だったんですね。
何かの衝撃的な事象から、突然こんな発想になられたのかなとも思いました。
普通の方で良かったです。
そう、至って普通なんですよ。だから考え方なんてそこら中にヒントは転がっていると思いますが、思い込みとか観念がそれを見えなくしているのかも知れませんね。
それにご同意いただけたところで、ではご機嫌ようさようなら。