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のぼかん

のぼりです

 「独歩百歩千歩」(どくひゃくせん)[二十六]

「人の歩み」
この正月は久しぶりに呑気な気分で過ごせた。
久しぶりがいつ以来と記憶にあるわけではないがそう思えた。
天気も良く風もなく、食べたい物を食べたい時に食べ、やろうと思っていた事をやりたい時にやれ、黙々とそして淡々と過ごせたことが何よりも良かった、と思う自分に少しは年齢を重ねての変化を覚えても気分は良い。

今や居ながらにして日本中のいや世界の情報さえ同時進行で取れ、そこと意見交換さえ可能になっている。
凄い時代になったものだと感慨深くする間もなく、必死にその尾を見失わないようするだけで結構くたびれてしまう。
そんな頭脳戦満載のネット社会に生きてもその当事者も生身の人間だ、時に病んだりする訳だから頭脳の領域だけは細心で濃く深くはなっていても、広がってはいないようだ。
そんな頭脳エリート達も病む理由はごく普通と変わらず、大抵その目標との闘いに敗れてからのショックや、拭えぬ敗北感を起因にした金銭的事由、人間関係の損壊、自暴自棄による肉体の酷使など、ごく普通の人間だなと映る。
細心の濃く深くなどとは、ただでさえ神経の擦り減ることとイコールに思える訳だから、表向き颯爽とある姿も所詮はごくごく普通の青年であり壮年である。

極(きょく、きわめる)を目指せば露わなステージのそこには必ず目に見えての競争があり、その狭い領域の奪い合いであり、そこに全人格全個性をぶつけてはそこに立ち止まり続ける事を意図し、同時に崩れ落ちていくライバル達の存在をも横目に見る。
当然そこに至るまでもあらゆる困難を経ている訳だから、側から見てもキリキリと胃も痛くなるステージなんだろう位は想像がつく。
勝ち抜かなければ意味がない、自分の人生の価値がないと、自身に集中している間は気も張り目前の障害も速やかに処理するし、処理したと思いまた集中する。
そうそんな状況では自分が神かスーパースターかと、そんな境地を歩き回ったりもするのだろう。

だけど面白いか不幸かはわからないが、長い人生観で捉えると『所詮、闘い、戦い、に勝者なし』で、その形態は残り続けても、必ず誰もが傷つき弱りいつかはそのステージから降りる。そしてやがて総員例外なく入れ替わる。
そうどの演者も『生身の人間』なのである。肉体や精神やその寿命などさまざまな制約に生きる身である平等さが、どんな時代でも場面でも究極として存在している事が、『闘い、戦い』の不毛さを見事に証明している。

戦争然り政治における選挙戦然り、ビジネスにおける闘い然り、日常における大小問わない障壁然り、結局はそこに打ち倒れては後輩が子がそこを乗り越えて、またその事を継承していく繰り返し。そしてその渦中に生きるのが人の『人生』とも納得させられる。
自らを生きる以上、今を闘い乗り越えて明日の保障を願い、次の日に向かいまた自分とも闘う。
そうしてここまでの事を大きく生命の自然さの範疇と捉えれば、ああなるほどと合点もいくわけで、生命ある限り自らと闘う分皆もそうであるのだから、そこに争いの種は沢山あるし決着なら戦いでつけようかともなる。
そうかそうか、制約のある事とはハナから限度限界があるからこそ、そこにいつ誰が真っ先に、あるいは一番最後にと自然に競う。その間を『人生』と受け止めれば、シャカリキに生きる私、眉間にシワを寄せて歩く貴方も、今はそうかも知れないけれど、そう周りと大差ないよと今なら話してやれる気がします。

歳を取ればわかった気になる、実際は分かったような気がする事と、未だあやふやな部分と相まってあるのだろうが、歳を取ることでの本望がその理解にあると思うようにもなる。
若いうちは絶対わからなかったことが、今ならわかると言える凄さ。
一人の人間の一生とは、その思慮の膨大さだけでもなかなかの世界でもありますね。
出来たことが最早できなくなる、そんな普通と思っていたことを失う事への辛さより、この安堵か満足感か必然と確実に備わっていく気がする新鮮で心地よい湧き上がる納得の感覚。
そう足元湧出泉のような心地良さと例えれば、つい笑みも溢れる。
そしてその全てをいつ迄覚えていられるものかと漠然とある不安。
何とも堪りませんなあ、一生の余りにも情緒豊かな道程の日々を思うと。

そんな新年の始まりに衆議院議員選挙が公示された。前年来暗黒の風に包まれんかと思う矢先の、『高市早苗総理』の誕生に、国内の多くが束の間刺激と安堵を取り戻した。これで流れが変わると予感も出来た。
それでも民主主義国家の宿命はそんな余韻をも打ち破るが如く、歴然とした大多数をもっての国会運営を了としてあるから、ここぞとばかりに乾坤一擲の闘いとして総理が解散総選挙の勝負をかけた。
対する野党の側もそんな人気取りに我が党を埋没させられてたまるかと、あの手この手の方策を取り、最早倫理も理念もかなぐり捨てての臨戦体制。
この大なり小なりの政治姿勢が、日本に確たる政治風土を産まない原因があると思ってはいるが、何十年も変わらずある『勝てば良い、当選しなければ意味がない』の相変わらずさである。

ここに国のリーダーたるを目指す政治家の思考や発する言葉の矛盾さを非としながらも正しえない因があり、結局無責任の誹りを受けても、皆がそうだからとする社会の混乱に繋がり至っても、誰も敢えて踏み込まないし、勝ってから取り組みます、負けたらその土俵にも立てないので、今後に託しますとなる。
現実問題、それをどうすべきかを考えるのは一億総個性がとするのが正しい。いやその為に国民の代表が然るべき場所に立ち居るではないか、そこが堕情に過ぎるから駄目なんだと。

いやいや一度国会議員になると、長くてもたった4年や6年先にまた選挙があるから、その為に地盤固めに必死なんですと。
自分の身分を確保しなければ大胆な行動は出来ませんと。それには任期が短いのですと。
なるほどなるほど、国の為にやりたくても身が入らない理由はわかりました、ならば任期を長くして議員数を4分の1位に減らせばいいのですね。
すると待って待って、それでは地盤に目が届きにくい、若者や多くの声を結集してこそいい法律ができるからと、選挙実態の問題とは別角度よりの異論噴出。

するとどうするんだと呟いたところで目が覚めた。
気分の良い正月を想い出しては久しぶりにソファに寝転んだと同時に初夢をみたらしい。
夢ほど怒ってはいないさ、そんなご時世をここまで生きて来たのだから、矛盾の存在もやり場のない現実の存在も、思っても叶わぬ気持ちの存在もたっぷりと知り備わってもいる。
そんな理不尽さや未消化の数々を理解していても、この国が好きだしこの国に在って嬉しいと思えるし、そういう時間を多く過ごしてもなお、まだやれる仕事があるし、少しでも必要とされていると思えば、自らが唱える『その可能性を伸ばせ、非を攻めるな』の言葉通りに、我が身を律する努力を改めて思う。

『我が身の矛盾に大いに学ぶ素地あり、足りぬは向かう目標への感情抜きの緻密な構図なり』
これは一人生きる者の進む秘訣の一つです。









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