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のぼかん

のぼりです

 「独歩百歩千歩」(どくひゃくせん)[四]

『距離感と個性』〜その危うさと成長

私達が過去に教科書等で習った歴史上の出来事も、その時々の1人の視点からすれば、僅かこの何十年かで「これほどの変わり様とは」等の連続であったであろう事は、今では容易に想像もつきます。
「調べる」「知る」ということだけを取り上げてもこれほど便利な時代が来るとは、今の壮年、老年の部類の人々には思いもよらなかったというのが正直な感想でしょう。

部外秘の事項の多い研究や開発の部署においては、その特色として幾つかの未来的予測はあったであろうけれども、その時々の最先端の現実に対処しながらのスピード感が社会への提供としては相応しい訳だから、予測と現実の距離感とを常に把握しながら日常は繰り返されてもくる。ただその中一つの研究部門においても、組織としては何層もの立ち位置があるわけだから、全ての所員がその仕事の未来を共有しているわけでもなく、裏返せばそんな仕事に従事しながらも、市井の人々の感覚とそう変わる事なく世の移ろいを眺める人も多いであろうという事である。

昔々家業をおこして1〜2年の頃事務用品会社の営業マンが工場に来た。後輩が働いている会社位の認識はあったが、事務用品は担当の姉が把握しているので不足はないと思っていたが、その日商品説明に来たのは、卓上計算機の勧めであった。そう今なら何処でも手軽に買えるし、スマホの機能にすら当たり前に付いているあの計算機である。
当時はカタログ販売が主流で推奨品を携えてやって来る。
これが最新商品として出ました。と取り出して見せてくれたのがB5サイズ位の、厚みも重量感もある計算機であった。
算盤が必需品の時代で、しかし算盤は苦手だけど、計算や数字はきちんと把握していないと嫌いな私には、まさしくこれだと思うような商品であった。値段は7万円。今でもしっかり覚えている。当時県の最低賃金が一日1,000円位だった、時給ではなく日給である。
そんな頃の7万円。

かなり高いのだが、私も現場管理者にも必需品と思い、即購入を決める。
他所の会社の値段を調べるという発想もなく、その前に事務用品会社というのが、人口10万人界隈であっても2~3軒の会社名しか知らない。
だからその当時の営業マンの実態は薄利多売かも知れないけれど、確実に物を見せて注文なりを取らないと帰れないというのはよく聞いていたし、まぁ商売には当然の時代でもあった。
その次持って来たのが水性インク式のコピー機。コピーされた紙が薄っすら濡れて出てくるやつ。この値段は覚えていない。書類の複写にカーボン紙を何枚も挟んで使っていた時代。
これもいいなぁと即決めた。値段は絶対に値切らない。値切っても良かったのだろうが値切り方がわからない。そんな事に気を使うくらいならサッサと買って次のことを考える方が好きだ。
こうして細かく計画されて想定され尽くして始めたのとは大違いの家業であったが、例え手探り状態でも意地でも少しずつ会社の体をなして行きたいと思う若かった頃の思い出の一つでもある。

仕事は繊維製品の製造業で私の故郷の近辺には、存在しない業種であった。
同時に過疎地であるゆえの当時流行った都会の資本を導入し、安い労働力を提供出来る強みを発揮して地域活性が盛んに謳われる時代背景もあった。
そこで大阪資本の誘致企業で田舎としては大規模工場の下請けとして父親が名乗りを上げた。そしてその流れで本決まりになったとして横浜で働く私を連れ戻すべく父が私の元にやって来た。
私の働く会社は僅か100人位の町工場だけども、業界の最先端を伺う位置にあるとして、若者の比率も高くて毎日油まみれの残業続きであったが、仕事も大変面白く充実しておりそこには不満はない。
でも残念なのは貰う給料は微々たるものであっという間になくなるような有り様だったが、そんな現実を踏まえても心からここに就職して良かったなと思えていた。
私の配属は精密機械製造機器を造るところで、鋼材からミクロン単位の製品を産み出す機器を造る。設計部から降りて来た設計図と指示書を前にして、材料をカットし旋盤にかけ削り、穴を開け焼き入れ焼きなましの後、数種類の研磨機で最後の精度を出し仕上げる。これを3人の職人さんが責任を持っており私と先輩の2名が、様々な技術を教えられながらこき使われる。

初めて触れる職人の世界も各々が腕に意地と誇りを持っており、人間力の連携なんかクソ喰らえ、だが部署全体としては指示書にある内容には忠実で、常に完璧な製品を作り出す、というまさに私にはこれ以上ない憧れのシチュエーション。
一番下っ端ながら、基本的にハイハイと言うことを聞くが、わからないことや納得出来んことは、方言混じりながらも口答えする。すると顔面茹で蛸みたいな表情でカミナリが落ちる。あ、そこまで説明してもらえばよく理解出来ましたと素直に引き下がる。
ああ職人さんて口下手で説明下手なんだなと思い至り、でもやはりここまで自分がもっと昔の師弟制度の厳しい時代に身につけ叩き込まれて来たことを、簡単にそこらの兄ちゃんに教えてたまるか、位のオーラに身を包むわなとある意味感動する。
だから聞くところによると代々若者が居付かない職場だったようだが、私は面白いのでそこには何の不満もない。変わった若造だぜと職人さん達は思っていたのだろうが、だんだんと休憩時間などにポツポツと自分の事を話してくれるようにもなる。
まるで一職人さんの辿りし流転の数々、決して資料や小説では味わえない魅力の世界だ。
私はただ黙ってでも適当に聞く。若いといっても連日深夜まで続く仕事で体力的にはキツいのだ。私なりのスタミナ配分を考えると、そうそう相手のペースには付き合えない。
だけど何気ないそんな時間の過ごし方でも私はとても満足できたものだ。

私は父親とは同居しながらもほとんど会話なく育って来たので、男同士が本音むき出しで付き合えているような状況が、そんな職場の環境がとても好ましいのだ。
怒られようが筋の通っていることは全て許容できる、なるほどと理解させてもらえることがとても有難いと素直に思えていた。
そんな他の社員から見ると近寄りがたい職場は男くさいけれど私にはとても居心地の良いものであった。
父親がやって来るまでは。

この章の冒頭から読んでいただくとわかるように、今のネットで検索、ネットで商品を注文し決済、お届けまで。用事があれば即電話でメールでラインでという時代ではなく、知りたきゃ知れる場所まで行く、聞きたきゃそこまで足を運ぶ。教えてもらいたければその中身に応じて覚悟してその身を運び投じる。欲しけりゃ曜日や時間やお金の有無を確認して前もって予定を立てる、それが普通の時代。
だから一人息子を説得しにはるばる九州から横浜までやって来るという、双方に覚悟有りである。
先に書いたように一人息子と言っても、父とは会話らしいそれもなく育った私は、父だが他人と同じように一男性として見るようになっていた。それより以前に意識していたのは世の為人の為を地で行くような人で、金儲けも出来ずだが人を呼んで飲ませ食べさせと賑やかな事が好きなんだなと思っていた。そんな日々の繰り返しにある静寂の時でも、一人息子たる私に一回でも人生観や世の中の解釈を話し教える訳でもなく、ましてや私の希望や考えを聞くでもなしに、だが無邪気に父に戯れる妹達には愛好を崩して接する姿があった。
だからこんな状態を何かと比較しようもないのだけれども、私と父との関係性はと問われても一緒に暮らす内は全く父の事を理解出来なかったのですとなる。

小学校、中学校迄はそんな父の職業の影響下で、身を縮める事も多かったが、妹達はそんな父の力の傘の下を実に快適そうに過ごしていた。妹と言えども「女はよくわからんな、だが逞しい」と当時から思えていた。
高校に入った時はさすがに意を決し父に「高校だけは役員も受けず何の関わりも持たないでくれ」と頼んだ。怪訝な表情をしながらも同意してくれた。
途中様々な事件は起きたが、そこは未熟でも男として生きようと思ってもいたから、色んな障害は自身の考えのみで通させてもらった。
そうした延長上の横浜生活であったが、悲しいのか嬉しい事か生まれながらに染み付いている、長男が家の跡を取り親をみるという暗黙の文化は遠く離れていても一種の呪縛としてあり続け、いつかの日を思い意識させられてもいた。
そんな若さにまかせて過ごす仕事やたまの休日にある先輩達に誘われてのドライブに、この上ない喜びを感じていた生活に父の出現があった。
確かな交流をする事もなく、ただ父と子としてだけの互いの立場の納得だけでいた私に「お前に相談があるからこれからそちらに向かう」という一方的な電話に、疑問とともに何かしらの不安の広がりを覚えて、到着する前日までイライラしていた事を今も思い出す。

家を出るまでの二十年近く、顔は朝晩に合わせながらも交流すらない関係が、一本の電話を境に待った無しの果て地まで飛ばねばならないような気がすると同時に、このやっと掴んだ平和もそう言えば昔から、嬉し楽しと思う時間も、親の都合による現実にいつも引き込まれていたなと、妙に落ち着いても来る。
その後の結果はいつもいつでも良からぬ事となっては、自分自身の考え方次第、受け止めては解釈次第と言い聞かせて来た事も今は言葉として明確に出来る。ああその分俺は成長したのかと、そんな時でも良い面・心理的負担の少ない面だけを思い見つめる自分の気性も知った。

そこから約30年後、「のぼかん」によりそれが全く間違いのない自分の「個性」と合致する事を理解するに至った。
父の到着前夜、こうして落ち着いて眠りについた。

次号に続きます。













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