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のぼかん

のぼりです

「人工衛星」

数年前、東京に行った折私の住まいの外観が分かりますよと言う人がいた。
唐突で意味がわからず怪訝な顔をしたのだろう、いやいや実はGoogle earthからその住所の近影が見れるんですと言う。そう言えばそう言う事が静かなブームとなっていると聞いたことがある。
その時はドローンとかがニュースに上がり始めた頃で、子どもの頃から、小遣いを一年がかりで貯めてはプラモデルや飛行機や船や戦車作りに打ち込んでいた時期があった者にすれば、ドローンでの「空撮」というのはものすごく憧れの世界でもあり、大いにその想像を駆り立てられたものだ。
むろん何事にも周りに迷惑をかけないと言う、常識や倫理観は求められるのだが、上空からあの山を尾根を河を街並みを、リアルな映像として見れるのならと、果てなく続く知りたい欲求の時代がいよいよ一般社会にも到来したのかと一種の感慨を覚えたものだ。

夢見ていた世界がとうとう社会に適合する形で浸透するという期待も、その想像を超えたスピード感と画像処理の技術力の高さで、今や景色の映像はもとより、災害時の実態の確認やその予防としての危険箇所の確認など、本来のあるべき姿で確実に定着して来ている。
人類が月に降り立つ以前より、アメリカやソ連を主とする国々の軍事戦略の一環として始まった人工衛星の打ち上げで、宇宙空間の実態やそこから観る地球の、世界の国々の様子などがあらわとなっていき、その秘密政策の延長の果てに、それ以外にも気象情報、車のナビ情報等に代表されるように、今や社会生活の中で大いにその機能が採用されている。

私に話しかけた人も、その前日の私のセミナーの一日目に名刺交換しその夜宿に帰って私の住所をGoogle earthで訪ねたと言う。
まぁ単にどんなところに住んでいるのか、興味津々だったのだろうが、あまりにも質素な風情に唖然か愕然かしたのだろうが、本人曰くとても親近感を持たせてもらいましたとなんだかまたまた意味がわからんが、まぁ大した住まいじゃなく安心したんだろうと結論づけた。
遥か宇宙空間を周回する数多くの衛星のレンズより撮られる画像のその拡大の果てには、猫や犬が道を横切る瞬間さえも捉えて記録出来ると言うし、その連続性を用いれば一日中のみならず年単位の観測も記録も当然可能で、まさに物理学的にも工学的にも至極自然な流れの帰結とも言える。

道に立つ私が空を見上げても、雲かカラスか遠く飛行機の飛来痕か、それよりも電線や隣りの建物の存在感が意外と強く意識づけられ、なかなか空の様子を観察する事すら現実には難しい。
それを宇宙空間から送られて来る画像では高性能レンズを通して音も感情もなく、正にそのあるがままを映し伝えてくれる訳で、それを見て情報として整理しては活用する人々や組織があり、何気ない社会生活の背景や方向性としての実態や可能性として捉える事を、職業にしている人達も存在すると言うこと。
こうして情報とは見る立ち位置より、様々な実態を事実として知らせ理解され、その知識欲を満たすと同時に、溢れんばかりの想像力も駆り立てれば駆り立てるほど事実として整理する技術や方法が考え出される。
その事を喜びとするのか、不幸への接近という怯えと取るのか、人の生き方心のあり様では、これまたいろいろな受け取り方へと波及していく。

苦しむ理由やその実態を知らぬゆえの日々の来し方の疲れも、一つ取っ掛かりを知れば忽ちにその苦しむ程の力がある分、開放への流れを予感していき、家族や仲間といれば私が悩む側から誰かが助けて親身となって支えてもらえる分、その周りの誰かがそうであれば、ここは私が引き受けてと、我が事の様にその解決までを付き合う事となる。
ああ美しき家族やその仲間よとなるが、さてさて私自身が私自身で私自身をどう理解して、どう在りたいと願っているかと問うと、実はその答えすら出ない私がいる。そう私にはいつも私の疑問や難問を考えてくれる人達がいたから、そうとやってこれた。
それが当たり前とする生き方が環境としてあり、それを今更となっても、時の積み重ねはいつかしらそれまでの当たり前の世界の大きな変化を作り上げて来ており、そのことにはたと気づいた時、それはそれは内心の狼狽えどころの表現では済まない焦りや自信喪失と形を替えてジワジワと迫って来る。

自分で考え自分の意思で応え動く事を理想とするならば、そんな助け合いの世界のいつどこから、それが身につくというのだろうか。
地面に立つ私から見上げる先に得る情報はほとんど無いに等しいが、パソコンを通してそのずっと先にある宇宙から知る情報は膨大過ぎる程の量としてあり、この事が当たり前の世の中の先には、これまたどんな展開があると言うのだろう。
物理や工学と人の精神世界は異なるけれど、人の心の欲求の先にある学問の存在が、リアルな事実としてこの世に存在し続けるには、私達は如何なる心構えを覚悟すべきなのか。
普通の人間が下から見上げても見えないものが、単に上からは見える機能が備わっているだけの事なのだが、その事の発端は如何なるものであったのか、例の如く共感者もいない世界での一人言の類でまた時を過ごす。

あの時貴方のお家見ましたよと語った彼とはその後メールや電話をもらう様になり、その一年後奥様を病気で亡くされた旨の連絡があった。
彼女の事をどう理解し居ない事実をどう乗り越えていけばいいのかと嘆かれる。
工学博士の肩書を持ちさる企業で活躍している彼とは、始めの出会い以来幾度かのぼかんの話で盛り上がり気が合った。
自らのスタンスに合う世界と、良き理解者となっている彼も、一人ではいたたまれない心境の日々に立ち向かっている。
数字や計算式では割り切れぬ私達人間世界の重さに、打ち震えてはもがく様を私はただただ聞いて受け止めてやるしか出来なかった。
その二年後再婚しましたとの書状が届いて以来互いの交流は途絶えた。

ゼロ歳で始めた100歳世界への挑戦も、その過程の圧力に立ち向かいながら時を重ねて、やがて来る時の事を思っても今この時を生きる事を自身にとっての最良とするしか術はなく、お互い様の連なりにその人への尊厳を思う事しか私には出来ない。

あの時の切ないやり取りの事を思い出しては、今日もまた何とはなしに空を見上げて見る。だが私の目には何も見えず何も感じず、何を見ようとしているかもわからなくなりただ前を向いて駅に向かうしかないようだ。








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