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のぼかん

のぼりです

「強かさ」

突如出現した感のコロナ禍も、まる2年を過ぎ3年目に入ろうとしています。
この夏の五輪の閉会と同じくした頃より、それまで猛烈な感染増加の脅威も急速な下火へと向かい、まるで狐につままれたようなと古い言葉を引用しては、何かしらかの緊張をどう解して良いのかわからぬままに、それでも日々の感染者数の減少の定着と共に、恐る恐るながらも、街に車や人は溢れ出し活気の素振りは以前に戻ったようにすら映ります。
それでも素人なりに感染症の怖さやその現実の防衛作業の必要性は、イヤと言うほどこの身にしみており、事実に直面した者としての経験を広く全国民が共有していることになる。

5年前に勉強会で『強かなる者(したたかなる者)』というテーマで行った。
文字より読み解きながら、その現実的な解釈を主として話した。
「強さ(つよさ)」として発する言葉や意識と「強かさ(したたかさ)」としてのそれとの違いの一つとして、まずは時間的推移の有無がある。
「強さ」にはそうと完成された全体像の印象を覚えるのに対し、「強かさ」には、どこかしらその内面の構造の息吹きすらも想像させられる。
つまりは「強かさに至るプロセス」を予感させるというものだ。
人に例えて「強い人」と呼ばれることと、「強かなる人」と呼ばれることの違い。個々でそれへの望みは異なるだろうが、こうしてあちこちの角度から考えると、「強い人」として映る姿には既にその領域に到達した人を思わせ、「強かなる人」は未だそこへの途上にある人を思わせる。
つまりは「強さ」の世界を目指す途中であると想定出来るということ。

『刃物を鍛える』という世界は、鋼を焼いては叩き水や油で冷ましては、また焼き叩き冷ますを繰り返し、その理想の硬さや形状を作る事。
焼いて叩き冷ますの、相反する作業に耐え応える物こそが、その意図する世界に至る、となるからそこから『鍛造』という技法が成立している。
人に例えればどこかしらで苦労してその成果を得たとして安堵し満足を覚えるとする、しかし人の世は常に移ろい様変わりするものとすると、そこに漫然とした安心に浸っていると、再びの苦労の嵐にはとてもじゃないが耐えられず壊れる、となる。

だから先達は勤勉の継続と怠りの危うさの世界を忘れるべからずと戒めて来た。
しかし現実には鍛え続ける世界には壊れる脅威が潜んでおり、熱し鍛えつつ冷ますことを繰り返しながら、その物の保持を最優先とする現実となっている。
壊れてしまっては元も子もない、と言うわけだ。
これを物ではなく人にと正視すれば、鍛えつつ解しまた鍛える、となる。つまりは仕事に打ち込んでは、私生活でその緊張を緩ませる事と例えられるか。尽きぬ苦労にため息をつきつつも一杯のコーヒーの味わいに無中になったり、かじかむ手をポケットに入れながら、今夜は忘れず手袋とマフラーを準備しておこうと思ったり、今感じ入ること、明日へと思う心を自覚する瞬間があればということか。
更なる現実には打ち込み方や緩ませ方の程度が課題としてあり、ほぼその組織や大きく社会の規範に則してを求められ、ここらの内に人間関係や健康や代価の過不足が障害として横たわり、日々にそこに直面する事で、いつかしらやがての将来像と遠くかけ離れた現実を生きることにもなる。
ええい、それならこの現実で生き抜いてやる、と心した者が、まぁ迷いの少ない人として映るが、誰であってもその内情は、決して揺れず安定している訳でもなかろうと、ある程度の年齢になってみると自然とわかるものだ。

『強かなる者』への憧れがあるとすれば、そこに緊張と緩和を繰り返し持ち、それでも徐々にその年齢や立ち位置による変動で、その振幅の増減を繰り返しながらも、常にある緊張と緩和の中身の充実こそが、継続の秘訣と悟る。
すると秘かにそのデリカシーな日々の連続に、私なりのルーティンを持たずには避けて通れぬ世の強弱の障害に対しながら、自らにその緊張と緩和、強弱の事実を受け入れ持った者こそが、否応無く『強かなる者』としてのシールを自他に問わず貼れるということになる。
そこにはその自身における強弱のリズムをきちんと刻みながらも、世の強弱のそれに直面しながらも、大きく感情を乱すことなく淡々として映るはずであり、周りより目指す姿、求められる姿像としてあるはずである。
こうして「強さ(つよさ)」への憧れの実態は日々に自身を鍛える覚悟から、適度な緩和を必要としつつ、自らに合ったリズムを刻みつつこの世に向き合い続けることとまとめられる。

現在の私達の日常も、降って湧いた様なコロナウィルスの脅威に、経験のない緊張を強いられ、そしてそのウィルスの全貌が明らかにならぬ中でも、感染者の減少でその姿勢をゆっくりと解き、しかし初めての経験で得た学習としての意識は、このままで終わるはずのない脅威の存在を認め備えを解く日の遠い事を覚悟させ、それでも仕事もこなし活動も営みながら心身の緩和の必要性もきちんと理解しながらまたその時に備えようとする。
こうして緊張と緩和という相反する世界に生きる現実として、皆さんがそこに『強かなる世界』を自然と身につけて養っているという事を思い知らされる。
限りある時間の中で、世に有るこれほど沢山の事実に接するだけでも鍛えられることに変わりはないが、出来る事ならそこにまずは我が意を先に置き考え備える事とすれば、自らが自らの意思により向かう人生となり、それにて立つと納得出来るはずである。

世には万満の事柄があり、この弱き身ながらもせめてこの人生を我が意で立つを願いとするなら、先に答えなど存在せず日々に鍛え緩めてまた鍛える緩めるを続ける事のみに成り立つのだと思います。
予断を許さぬコロナ禍の緊張の中に、その日常に少しの安堵と笑顔を敢えて出し、この繰り返しの中でいつしか皆さん全てが、『強かなる者』として頷き合う事と致しましょう。






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