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のぼかん

のぼりです

 「独歩百歩千歩」(どくひゃくせん)[十一]

「秋の夜長に」
過ごしやすい季節になって来ました。
朝の目覚めからシャワーに直行する日々より、夜寝る時も少しの冷えを気にして布団を意識する。これくらいの気候が心地いいですね。
フル稼働に近い働きをしてくれていた我が家の2台のエアコンも、このところ休憩モードに入っています。
この夏もよく頑張ってくれましたといった感じで、若い頃のエアコン嫌いとはほど遠く、今じゃ君ら無しには過ごせません。

先月号でも少し触れましたが、国が世界が地球温暖化傾向にあると言い、その施策が年々具体化して来ても尚、正直普通に生きている分にはその実感は遥かに遠いもので、それでも家庭用ゴミの分別から始まり、自動車の排ガス規制に基づいてのガソリン車、ディーゼル車のハイブリッド化や電気自動車、水素自動車と、大幅に世界的な未来志向の指標が示される度に、これは他人事ではなさそうだなと思っていたら、まるで有無を言わせぬかの如く高気温の連続の日々、線状降水帯なる昔の通り雨など比較にならない異常豪雨の出現、台風の発生も進路もこれまでの常識を越えては、頼みの綱の気象予報も当てにはならずと、流石にこれが温暖化の一面だと突きつけられては最早ぐうの音も出ない。

我々は四季のある国に生まれ、やがて来る寒く冷たい冬を前に今清々しい秋の頃合いを楽しめと教わり、冬の寒さに震える時はまあもうしばらくの辛抱だ、その先には暖かい春が待っているよと心に言い聞かせ、春の寒いのか暖かいのかの中間を味わいながらも、桜が咲く頃は新人さんのデビューだ、一年進級だ焦らずゆっくり慣れろと、やっとの寒さからの解放にやがての大きな期待も抱き、大丈夫か無理していないかと励ます内に、夏の暑さをそろそろ予感してと。
四季の移ろいは間違いなく有り、そして来る。
この間違いの無さがその内そうなるさ、ほらなっただろう。次はこうなるさ、ほれずれずにちゃんと来るではないかと、決まりきった事に対する、信頼感、疑いの無さの中で呑気に生かしてもらって来た。
だから去年もそうだったが、今年も酷く暑いなと思っても、その内涼しい秋がやってくる。
それをまるで温暖化とは「夏限定」位に捉えていた私の無知は、嫌待てよこの近年の夏の異常さはなんだと思ってから、ハタとそうかこれが一年を通しての温暖化なのだと、その実感を経ないと頭にも身中に入らない情け無さと共に、今素直に地球単位の『温暖化』なる世界を理解出来た気がする。
そのうちこうなるよ、こうなったら次はこうなるよね、その時はまたと呑気な四季への期待感に完全に染まりきっては、ああ成る程そういう事ですか、この『温暖化』とは間違いなく人間社会由来のものであり、その積もり積もった結末が現在の気象状況に至ると理解出来ました。

地球に対しての人間由来の過酷な仕打ち。
やった過去は消えないけれども、この後どうして改善に持っていけるのか。
のテーマを社会全体が等しく持ったとしても、何が現実にどうやって変えていけばいいものかと。
車は日本中で走り回り、電車は定刻通りに運行され、工場は激しく稼働して、農業も漁業もその生産に忙しい。
つまり国内総生産のパーセントは、国の存亡としてはかなり重要な項目として消える事はなく、こうした相変わらずの生活ぶりの延長でその事を考える。今より孫や子の時代に、人間のついこの先の未来に向けて弊害が積み重ならないようにとはどうすれば良いのか。
ここから学習の意味が出て来ます。
今更学んでも遅いという言葉もそう主張する人の気持ちもわかりますが、人はきちんと学んでから行動出来るのです。
行き当たりばったりではなく、もっと論理的に冷静にその時々の事実を見ながらでも、その論理に従えば必ず変化は起きるものです。
今はその論理が幾つ存在するのかさえも不明な状態なのでしょう。

もう無理手遅れという言葉は、自分が自分の価値観で「未来予測」しているだけで、自分もそれほど多岐に亘る根拠などないのですから、ここからは落ち着いてきちんと学べばいいのです。そして納得した事を自分のペースで実行して行けばいいのだと思います。
周りと協調する事が大事とも教えますが、それの基本も個々がきちんと理解していてこそ成る事で、まずは自分が学び知り納得する事なのです。
自分がそうとして動き、そこに仲間がいれば当然協調の輪は広がりそのエネルギーは膨大にもなります。
故にまず個々に学び知る事の大事さを言えるのですね。
世の中には幼な子の未来での勝利を期待する余り、その途中の貴重な学びたる、悩む事を親が保護者が排除したりします。愛情という名の元に。
それをいい親として位置付けたりもします。
結果への最短距離走ならそれでもいいのでしょうが、人が生きる意味の本質は単に勝ち負けではありませんね。
そう人として強くそして優しくと願う。
願い思い続ける事こそが、親として社会人として最大の務めなのかも知れません。

悩ましき壁が我が子に有り、それを見つめ時に逸らしそうになってもまた見つめるであろうその心理を、静かに尊重してあげることです。
仮にそこを諦めて次に向かってもいいじゃないですか、その子の判断なのですから。親の価値観は子の価値観とは異なる也です。
それよりも親は親として一社会人として、如何に必死に立ち向かう先を持ちそして向かっているかを見せつけてあげる事の方が、子にとって何百倍も励みとして感じ見入ると思います。
そうそれが親子ですよね、無駄な言葉は要らないはずですよ。
だから何事においても遅きはなくて、今思い立ち得るそこから始めてみればいいのですよ。
自分が自分に言い聞かせる事あれば、ひたすらにそこに律して向かう。
人間由来として観た地球の歴史、個々由来の一人ひとりの人生、故に悩み考え学び知りそして生きる、ただこれだけだと思います。

秋の夜長と言われます、穏やかな空気と時間と少しの酒と共に、ゆっくり考え巡らす私だけのひと時でもあります。










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