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のぼかん

のぼりです

 「将棋」

私はゲームが苦手で、横で付きっきりで教えてもらっても、なかなか覚えられずコーチの要求とは程遠い。悪いがやりたくてやっている訳でもないので、キリの良いところでありがとうねと、解放してもらう。
思い起こせば小学生の頃一級下の隣りの龍也に将棋を教えてもらった。
龍也は一人っ子で勉強もよくでき、それに人を押し退けてでも、というようなタイプではなく、それでも私の後を追っては野球をしたり海や山で遊んだりと、口さがない田舎暮らしにあっても誰の目から見ても申し分のない後輩である。
床屋の息子の龍也は、気がつくと将棋をマスターしており、時おり大人のお客さんと指したりしているのを遠目に見たりしていた。
ある時龍也が、あんちゃん将棋をやろうかと言う。私が知らないのは承知だから、ちゃんと教えるからを含んでの言葉。
私は人になんか教えてもらうという設定が当時からあまりなかったのだが、龍也の言う事ならやってみてもいいかなと何となく思え頷く。
そうとなれば動きは早く、賢い龍也はまるで私の性格を知り尽くすかの如く疑問迷いを先に先に消しては、将棋のルールを教えてくれて、30分後にはさぁ勝負となった。

その頃から勝負事の厳しさに一段高く惹かれ始めていた私も、初心者だから云々の意識を取り払い龍也に挑む。
遊びでも何でも適当にやると私の一発の張り手が飛んでくる事を知っている龍也も、無論余裕を持っていても手は抜かないという姿勢で臨んでくれる。
それから学校帰りの1週間、毎日龍也の家に行っては二人で将棋を指す。
だが、おそらく100戦はやっても全敗だった。
とにかく全神経を集中しても勝てない。
1週間後、もう辞めた将棋は一生やらんと宣言した。慌てた龍也は「なんで辞めんのよ、こんなん勝ったり負けたりの世界で、もう少しで俺もやられる予感もあるのに」と驚くが、いや龍也には勝てんだろうと思うし、龍也に勝つイメージが湧かないし、万一勝ててもなんだか嬉しくない気がして来た。
それこそ素人将棋だから所詮遊びだからで片付けられる世界に、敢えているのが本意ではない気がしてきたのだ。

龍也は後輩だがいい男だし、認めても来たから龍也の誘いには乗ったけれど、覚えた将棋を他の人と指す気もないしその想像もできない。むしろここまで熱心に教えてくれて付き合ってくれた龍也との勝ち負けに発展する先がまったく面白くなく思えるのだ。
だからこれで私の将棋なる世界は終わりでいいとその時思い、今でもあの時の気分は鮮明にあり、一つの決心の手ごたえを覚えた日でもある。
だから後年麻雀の誘いもその他の賭け事の誘いもあったが、まるっきり興味が湧かない。
その時々の上下関係での誘いと言うか、厳命でも無論応じない。
勝った負けたを繰り返す世界にあまり興味を持てないのだ。
それでも私の部屋を提供して麻雀大会を許可していた頃もあった。私は部屋を貸しただけで、片付けさえきちんとしておけば、好きにすればいいという姿勢。当時は倒産後の浪人時代であちこち駆けずり回っていた頃だったから、私に場代を置きたい連中が企てた事で、二、三日ぶりに帰ると月の家賃位の金がいつも置いてあった。
そんな好意か同情かわからない行為が何となく気に入らないから数回でやめてもらったが、とにかく勝負事と言う名の「遊び」が嫌だった。
大げさだが幼い頃から勝負事は勝ち残れなければ「生きていけないもの」として身に付いてしまっていたのだ。

親に従って巡業していた頃、見知らぬ土地で、その地元の子とメンコやビー玉をする。参加者全員にとっても文字通り「宝物」を賭けるのである。すると、新参者の私が勝つと最後はルールもへったくれもなく、力の強い奴が無言で全部を掻っ攫って逃げる、続けて地元の子達全員が無言で走って逃げる。それを見て立ち尽くして泣いていると、どこかの大人が泣くなと頭を叩いて歩き去る。
驚いて更に泣くと、後から来た大人が、顔を見てお前どこの子か、男が泣いたらおかしいじゃろうが、と頬をつねってはひっぱたく。
負けてもないのに宝物のメンコは取られる。親にも叩かれた事がないのに、知らぬ大人には叩かれる。勝っても奪われたら負けで、事情はどうあれ男が泣くと負けになる。泣けたついででそこに浸り切っていると、自尊心はどんどん傷つけられる事態に発展していくのだなと身をもって教えられていく。

身近に戦争時代の話はたくさん聞いた。映画の世界で人は様々な角度に自分なりの思いのある事を知った。それこそありとあらゆる所に悲しみや苦しみの火種は潜んでおり、世の中は大変なんだ、生きるとは大変なんだとおぼろげにも小さい頃から感じてはいたから、自分の事についてのみ考えれば、簡単な世界で勝って驕り負けて泣いては弱音を吐くことの情け無さや無駄を確信していった。
誰に認められなくても、人は負けたらあかんのよ、生きていると言うことは今勝ててはなくても、負けてはないと思うことなのよ。
でも人生は負けてみなきゃ経験にもならないだろうという奴には、まだやる気や悔しさが残っているのならここまでの全てを経験にする事が大事なのだから、まだまだ継続中としてそこから始めろと話してしまう。とにかく意識の下がる負けたという言葉を使うなとも話してしまう。

負けず嫌いというレベルではなく、今生きている人の全てがまだ勝負の真っ最中であると言うこと。
勝っていると自惚れるな、そこから守り負ける不安がしっかりついて回るぞ、負けた負けたと騒ぐな、そんな低い意識の奴の空気を共に吸おうとは誰も思わんぞ。集まるのは同じ低い意識の奴らだけ。
負けたら二度と言葉を発する事もないのだから、話せるうちは愚痴るうちはまだ負けてはいないのだ。
何故負けたとするのか思うのか、その根拠や理由をノートに書き出してみる、するとノート1ページで充分、それ以上は書けもしない、原因とする理由もわかっている事があれば、そこを克服すれば良いだけの事。負け節や泣き節に酔いしれている奴はただの甘え、その周囲に依存しその実逆恨みしているだけ。そんなことよりまだまだ私の勝負は決着していないと考えることだ。
そんな自分と恥じたら、次なるステージにと目指せばいいのだよ。
そこは自分が決めたら必ず行けるステージだ。

人生は一回勝負。
生きているうちは勝ちの世界に有り、まだまだ簡単には決着のつかない世界に居る、というお話でした。
それにしても龍也は賢かった、いい男だった。あれからどんな人生を歩いたことやら。賢すぎる故に、きっと苦労も多くしただろうに。
二度と会う事はないけれども、互いの決着に納得したいものだね。












中級科修了式・菖蒲さん、土屋さん、岡上さん


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