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のぼかん

のぼりです

 「独歩百歩千歩」(どくひゃくせん)[七]

〜40年ぶりに会う男

子どもの頃大人しかった印象の人でも、数十年ぶりに会うと、たいそう明るく活発で自信に満ち溢れて見える人もいます。
あの子がこんなお喋りさんになるのかい。
その逆でどんな局面であっても常にクラスのリーダー格だった人が、思わず二度見してしまうほど、その存在感の小ささを覚える人もいます。
無論あらまあ昔のままだなあと感じる人もいるでしょう。
その年齢に応じて皆が色んな立ち位置で生きて来たとしても、そこまで係る時間的圧力は等しい訳ですから、それを受け止め受け入れ跳ね返しながらの今だとすれば、今のそのものがその人らしさと考えればいい訳ですね。

昔のイメージは、私から見たそれでありそれが私としては当然であったとしても、細かく言うと私がその人とどんな立ち位置で接していたかでそんな印象を持つ訳ですから、その人についての印象については誰もが共通したものとは限りません。
また学校で見知った印象と家での実態とは異なるものだろうし、いくら親友と位置付けても、それすらも相手も多分そうだろう位の自信しかないわけですから、子どもの頃からの友達、級友、知り合いの何十年間の空白の後で、やぁ変わったなあなんて言葉も他に例えようのない感想なんでしょう。
また当然の事その見た目外観すらが大きく変わっているのだから、更に印象の変わりようなど驚きの余り、大した言葉も使えもしないのでしょうね。

5年前のある朝、昔田舎で債務者として脂汗を流しながら緊張の日々を送っていた頃、数日間行動をともにした事のある男がヒョッコリ訪ねて来た。
今の知立市に住まいを移してからでも20年は経っていたから、かれこれ40年ぶりに会う計算だ。
女性の見分けは自信がないが、男はほぼ一発でわかる。顔見て無言で頭を下げた相手が顔を上げた時にはどこどこの誰だなとすぐにわかった。
お久しぶりですに頷きながら、入れよと促す。
表情といい声の張りといい眼の表情といい、まぁいい話ではないとはわかるが、何となく印象が違う。確か私より3歳年下のはずだ。つい40年ぶりの分の溜め息は出たが、座ろうとしない相手にまあそこに座れと言う。
お互い珈琲好きだったのを思い出し淹れようかと訊くと、嬉しそうに頷く。
何だか昔初めての出会いの再現みたいな気がして、妙に胸が痛んだが何も聴かない。

親が興した会社をその親に仕えていた専務一派に乗っ取られて、法的にはどうも手出しの出来ない状態になった途端に、心労の重なった父母を同時に失い、それでも一人息子の彼は親の無念を晴らしたいが為に、私の住んでいた町に来て、あれこれ彷徨っていた時にたまたま夜の駅舎で私と肩が激しく当たった。お互い若いからキッと向き合うと、奴は眼を涙で濡らしたまま無言で私を睨みつけて来る。
なんだコイツと思うけれども、無言で涙混じりに睨まれても段々と参ったなあという気分にしかなれない。
まあいいかと、ちょっと付き合えと車に乗せて夜中までやっている蕎麦屋に連れて行く。
その日の晩飯を食べていない私は熱い蕎麦と親子丼を頼んだ。試しに同じものでいいかと聴いたらあらまあ素直にうんと言う。
何処から来たんだと聞くと隣の県のどこどこの誰誰ですという。そんな男がこの町に何の用だと聞くと箸を置いて黙り込む。
私も無駄口は叩かず生きているから、それならそれでもいいまずは食べろよと言うと食べだす。
何だか私よりは良い暮らしの所作もあるが、今は大きく傷ついた匂いが同類の予感を漂わせている。
何の理由があろうとも、涙を流すだけまだ弱いんだろうが。
良ければ今夜は私の部屋に泊まっていいと言うと、はいお願いしますとこれも素直に言う。
そして明日教えて欲しい事があるとも言う。
家に着くときちんと座り改めて自己紹介して来た。

大抵礼儀正しいのは根底の持つ匂いで本物か上辺の所作かはわかるが、コイツはまあ本物だろうが内心面倒だなと思った。
偽物相手の方がこんな時は気が楽なのである。
何たって偽物は何らかの下心を持っているから、つまり目的意識があるからほっといても勝手に動いて勝手に消えて、迷惑をかけても平気な連中。
本物はそんな風に無下に扱えないほどウブで手が掛かるのだ。乗りかかった船で翌朝喫茶店で話しを聞く。
つまり親を騙した専務一派の追及の証拠がこの町にあるとかで訪ねて来たら、その関係者にケンもほろろに扱われ悔しくて悔しくてと言う。
どうしたいんだと聞くと、男の子として親の仇だけを取るなら方法は簡単だが、何とか親の財産の一部を取り戻したいと言う。
現実問題、それは無理だ。
相手もおそらく数年がかりで仕組んだ仕事、法的に穴が無ければ突っ張り切れる。幾ら坊ちゃん坊ちゃんと言われ育ったとしても、今は坊ちゃんとあんたを立てる気は全くないのだよ。
そして下積みにあるものが上を喰うなんてのは、よほど根性据えて取り組んだ事だから、綺麗事ではなくて恨みつらみを笠に着て乗り込んで交渉しても、あんたが短気を起こして暴れるなり犯罪を侵すのを待つ位の事を平気で考える。
そして一年二年三年と日を重ねて行けば、その時の現実が昔の事実を覆ってしまうものだ。
だから、済んだ事で何とかなるのはそうなった時点で素早く取り組んだらチャンスはあるが、悪いがもう無いと思った方が良かろうと言う。すると唇を震わせて咽び泣く。
私はだんだん腹が立ってくる。こんな風に泣けるやつはまだ甘いと当時も思っていたから、つい泣くなら何処か行けよと冷たく言うと、丁寧に畳んだおしぼりで顔を拭き鼻水を啜りながらパンを齧る。
我が身も他人に構う余裕は皆無なのだが、あんたが調査に納得するまで二日付き合ってやるから、そしたら家に帰れと約束させる。
話しの中身は私とはだいぶ異なるのだが、一人息子としての苦悩を背負った者同士の心情で勝手にそう決めた。
無論こちらの事情は話してもいない。
だから昨夜知り合ったばかりの男に簡単に世話になろうとする馬鹿だわ位にしか思わない。それに付き合う私はもっと馬鹿なのだが、昔からこんな育ちのいい奴はこんな甘え方が自然に出来るものだとは知っている。

約束した通り二日間でかなり調べられた。正直何とかなる道も見つけたし、なるかもとも思えたが、弁護士を立ててでも早くて二年はかかる話でその間の費用もかかる。
それよりも二日間付き合って人の良さと頭の良さと、経営者には不向きがよくわかり、諦める方向の話しをしてやった。
初めて知る事実の世界の解釈のアレコレ、事実の正義を盾としてもそれはこちらサイドの正義で世の中には、その立場立場での正義があるという事、だから一つの事柄で人が争い傷つく者もいるということ等を話す。
そして自分の精神の特徴と経営者としての脆さとをズケズケ叩き込まれて、結果としてこの件は諦める方向で考え何かで再起しますと言う。
幸い親類に応援してくれる人達がいるらしく、帰ってきちんと報告してやり直しますと言う。
まあ何と羨ましいご身分と思うが、そんな背景がまた人の成長を阻害したりもするのだがその事には触れない。
特急電車の出る街までは送らんからとバスセンターで別れる。涙眼で頭下げて乗り込む。馬鹿がと呟いたっきり40年ぶりなのである。

珈琲を一口呑み実はと話し始める。また何かの困り事だろうと思っていた私に、40年前の話しを覚えているかと言う、覚えているよと言うとあの時の父親の会社を先年子会社にしましたと言う。
一瞬頭が混乱したが、ああ諦めなかったんだとそこだけをついた。
あれから故郷に帰り親類縁者とも何度も話し合いを重ねたと言う。諦めてはいけないという人は少人数で大抵は他の事でやり直しした方がいいしそれなら応援も出来るとの結論に至ったらしい。
それで親類のちょうど後継の居ない家の会社に入り12年がんばって無事に事業承継してもらい、業績も資産も蓄えて当初より頭にあったこの事業で成功して、親の会社を取り戻したいとずっと思って来たらしくそれを今果たせたらしい。
そしてアレからずっとこのメモ書きが全てのバイブルになっているんですと薄い汚れたノートを取り出す。私があの時無理だから諦めろと言いながら、こうすれば何とかなる、この方法よりこの視点から観察して、こんな状況になったらこう攻めたらいいと、駄目と言いながらも上手く行く方法も書いてくれたじゃないですかと言う。
読めば確かに私の字で3ページほど箇条書きに解説付きで書いてある。

これを胸に秘めて頑張ったんだと言う。
そして今では堂々と子会社化出来ているんですと言う。
ほうあの時の危なっかしい泣き虫が頑張ったんだと笑うと、ハイと勢い込む。
それにしちゃお前の身なりはあの時の感じのままだから、40年経ってまた何かあったのかなと思ったと正直に言うと。
出会いのあの夜のことも二日間の事も忘れてなかったと、そしてこのノートが我が社の我が家の宝物ですと。
20年位して余裕が出来たから私を探しに田舎まで行ったが、杳として行方が分からず事ある度に探していたけどしばらくわからなかったと言う。ましてや名前を聞いても教えてもらってなかったから、忙しさにかまけてここまで時間がかかりましたという。
あの時のお礼を言いたかったと言うから、訪ねてくれたから充分お礼してもらった。
それより経営者不向きと言う私の決めつけも当てにならなかったなと笑うと、イヤだから頑張れたんですとまたあの時の鼻声になる。
お前は相変わらずアホやなと、ホレと花粉症の薬を飲めと渡す。いいですと軽く押し返す。

それでと初めて問うと怒られないのなら私の会社に関わってもらいたいと言う、そして私とこの先末永く付き合いしてもらいたいと言う。
お前それ「勝つ計算」で来ているの、つまり俺が応じると。いや失礼ながら住所がわかってからいろいろ我が社の顧問弁護士を通じて調べてもらいましたと、3回ほど調べ直しましたと。
時間が経過して調べても、人柄的にかなり難しいようですよとの返事で、いよいよあの時の服装のまま、直接会いに来ましたと言う。
何だか40年ぶりというお互いの時間の過ごし方にズレがあり過ぎて笑えて来る。そうかいそれほどあの時の事を考えていたのはありがとう。
でも、俺はアンタが本懐を遂げたとしてもよくやったなとは思うが、アンタの為にそれほどの事をしたとは思わない。
むしろ緊張の日々に疲れていて、見下す気分でほんの二日ほど時間を割いてやるか位の気持ちだったんだろうよ。余裕のない者同士でも束の間の優越感に浸ろうとするし、そんな甘さが次の日から露骨に我が身に跳ね返るのだが。
だから親類縁者に味方があると言っていたから、死ぬことはないだろうぐらいの安心はあった。それ以上心配もする事も思い出す事もなくここまで過ごして来た。

でも僕のことを40年経っても全部覚えていてもらえているじゃないですか、それは気に掛けていていただいていたという事なんでしょう。としつこく言う。
俺が何を覚えていようが忘れようがお前に関係はない。
今の成功はお前が頑張った成果なのだから、それは素直に評価出来る事だと思うから、俺には1ミリも気遣いせんでいい。
ましてや本心からそう思う俺にこれ以上なんかお礼する真似だけは金輪際しないでくれ。
そんな話しも佳境を迎える頃彼の電話がなる。
奥さん連れらしく名駅のホテルに泊まっているから今夜の晩飯だけでもと言う。
どうせ仕事で名駅方面に行くから飯だけは一緒にしよう。と返事したら電話口に全て断られたけど、今夜の食事はご一緒だと言って終える。
本名だけ調べあげても『のぼかん』の事は知らなかったようで一切触れてこない。だがこの夜の食事中奥さんが『のぼかん』のホームページはよく見ると話して来て、コイツは実は何処まで調べあげて何処まで惚けているのかと疑問に思ったが、まぁ泣き虫君が思いを果たせた感激に今宵は付き合ってあげようとも思った。
これが5年前の話し。

それから毎年連絡は寄越して来ていたが会う事はしなかった。
どうも居もしない弟に接する気分になり、彼と話すと少し気が緩む。だから会いたいとは思わなかった。
その彼が再会を果たした3年後、つまり一昨年の6月、突然肺癌で亡くなったと連絡が来た。
入院して二週間で逝ったという。3歳下なのになんて余り意味のない言葉しか出て来なかったが、お前は良く頑張ったよと思い出す度に念じる。
昔あの時の咽び泣く顔が浮かんでは、ついついとなるが、俺は馬鹿じゃねえーとアホみたいに一人強がってみる。
アイツは私よりもっと沢山言いたい事を抱えていたんだろうが、私が結局何も言わせず仕舞いだったんだなと今はよくわかる。聞いても仕方なかったし、と言いながら思い出すと妙に気が滅入ってしまう。

人の何十年の時間は等しいけれど、どんな味わいか気分かは個々に有る。
一人一人充実してくれれば幸いだが、幸いとするにはその反面を知ってこそとなるゆえに、どの人生も充実と言える振り返りがあればこそと願わずにはいられません。
彼の祥月命日にこの事を書いてみました。45年前の出会いでたった二日間程行動を共にしただけなのに、40年ぶりに現れては記憶の底を掘り返し、やっとお互いの歳を労わり合えるようになったかなと思ったら、色んな想いだけを平気で残してアッと逝ってしまう。
本当に手の掛る奴です。
私もずいぶん長く生きてしまったなとこの頃よく考えてしまいます。












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