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のぼかん

のぼりです

「五輪と情報」

前回開催の東京オリンピックは私が小学6年生頃で、テレビを通して世界中からスポーツ選手が集う迫力のある大会に、大人も子どもも熱狂したように思う。
それまでの本や映画を通してのヒーローとは異色の、スポーツ界のスター選手の数々の出現に、子どもながら世界は広い、今自分のいる世界とは大いに異なる途方もなく凄い世界があるんだと、確実に意識に刷り込まれていったものだった。

九州の片田舎の長閑な故郷で見聞きする話は、親を通してか学校生活か、遊び友達情報が全てであった。
先輩がこんなものだ、そんな事だと言えば、へーそうかと鵜呑みにするしか法はないし親とて戦後間もない時期ゆえ、電話はない、新聞も普及が始まったばかり、テレビが各世帯に登場し出すのもこの頃だし、そんな限られた情報世界に私心を交えて話すのだから、今考えると皆が純朴と言えばそうで、ただ無知なる世界に居続けた事にもなる。

全てにそれを当たり前と割り切れたならば、そう大して不自由とも思わず理不尽な所業さえもその範疇に入る訳だが、なまじそんな中でも情報の取り方に長けている人とか、田舎の世界観に満足出来ぬ者は、万難を排してでも何とか都会と同じ空気感にと渇望していたようで、当時の家出少年青年の置き手紙には、何やら当時は解釈不明なれど、なんとなしにその意を汲み取れる文面を残して出立したりもしていた。

私などはそんなに焦らなくても嫌でもあと数年で卒業したら、都会に働きに出て家に仕送りをする運命なのにと、その焦る彼らの根源が理解出来なかった。
戦後からの脱却、高度経済成長なる文言の元に、日本中の復興、発展が叫ばれだしていたものが、東京オリンピックを契機として現実味を帯びて目に見えた発展を為してきた。
新幹線の開通、東名高速の開通、テレビの衛星放送開始で外国の放送も始まり、その第一日目にアメリカのケネディ大統領暗殺の生中継もあり、いろんな意味で度肝を抜かれてしまったのを思い出す。

すると自分の成長と共に当然都会に就職をする為、生まれて初めて故郷を離れる感慨も知り、就職した横浜から見る故郷の実態や、ある意味憧れる事に憧れた横浜、東京などの実態を見るにつけ、どう感じるかよりああこうなんだな、こんな世界なんだなと感情よりもまるで自身の乾いた情報の小箱に次々とその実態が注がれては満ちていく様が楽しくて、時にある怖い思いややばい話しすらも、見ると聞くとは大違いとばかりに、恐るる事なく自分の情報として入った。

その当時、右翼の左翼のという学生運動なる世界も遠目に見知ってはいたが、自らが稼ぎもしないで檄を飛ばす彼らの体制批判が、体制に背中を預けている最たる者達のように見えて仕方なかった。
元より徒党を組む事の嫌いな私には、東大紛争など未だに解せぬシーンであったが、大きく時代が変わろうとする時の、過激な破壊活動やその主張を声高にすればするほど、その対極では真逆な社会の安定化への国民の渇望も日増しに高くなって行く為の、必要な活動の一部だったのかも知れぬ。

先にそんな演出者が居たとは言わないが、今ならこんな不景気な時代にも株価は高騰し続ける訳だから、実態経済と伴わなくても確実に儲かる仕組みの中に居る連中がいる訳で、そんな風に考えれば、戦争中であろうが戦後であろうが、今のコロナ渦であろうが、それは世界の上辺の画像であり、演出する者あるいは集団は必ずその時代時代におり、もしくは伝統的にそんな組織があるのかもしれない。

ではそうだとしても、普通の人間がおかしいか、そんな組織があるとしてそこの連中が賢いかと考えると、まぁどちら側にいたとしても、同じとは言わないが、「人がその人生を生きる」という力点で見るとそれはそう大差もなくまるで一緒である、とも言える。
時に騙し騙されて世の中の不公平さを謳うが、長く生きてみると世の中は何と無しにバランスが取れていて、昔泣いた者が自然と笑える終わり方をするし、昔勝って笑った者が、いつしか泣きの日々を送る事も多々ある。
昔絶望の淵に居た者が、長き時間の果てに、いつしかそこに立つ者に必死に話す事もある。
昔体制批判をしていた者が、ガンガンの体制側に堂々と立ち「道徳」を説こうと躍起になったりもする。

昔情報に飢え情報こそが生きる最高の手段と考えていた知人がおり、彼はたった一つのミスでその情報に手足をもがれて、本人曰く人生の吹き溜りに弾かれたと嘆いて姿を消した。数年ぶりに探し当てた時、情報を取らない今こそが自分らしく毎日生きている実感にあると、それまで見たことないような笑顔で自家製のコーヒーと漬け物をご馳走してくれた。
今はその息子が情報処理会社を経営して世に名を成している。その息子曰く別れた父が大いなる反面教師だったらしい。
良かったな、お前の人生も息子の役に立ってと笑うと、全くそうだなと涙を流して笑う。

しかし彼がどん詰まりにあった時、「のぼかん」を聞きつけて必死に身の不遇を訴えた時、話してやるのはここまでの整理をする事のみ。我が個性を知り身近な個性を知り、仲間であった者、敵側にいた者の個性を知る事。
変わるならそこからしかないよとつっけんどんに言った。
泣きたいだろうが喚きたいだろうが弁解したいのだろうが、それは何の為かと問うと、やはり自身の正当化の為だなと肩を落とす。
負けた事の腹いせでも諦めの悪さでもいいが、人にそれをぶつけるのは見苦しいし堂々巡りするだけだし、自身もそれを嫌っていたはず。今の君はまさにそのものだ。

そこからひと月「のぼかん」だけで話し語らった。
そこから姿を見なくなった。
でもあれから8年経ち今最高の笑顔を見せてくれている。
どこでどんな生き方をしようとも、人生で詰まった時には「のぼかん」で解いてみるといい。
解いたら楽になってまた人生を生きればいい。
これが人生は公平でバランスが取れていて、の背景の一コマです。

悩まずして苦しまずしてその境地に立つ事はない。しかしその人生の立ち位置の瀬戸際に有れば、無駄な気負いを持っては少しの風の揺れで転落するから、気負いもなく私心に素直に問えば、片側のみの極端に過ぎる生き方をしたかも知れず、ただただ臆病に事勿れ主義を信奉しいつしかそれが周りや下の者への押し付けになっていたかも知れぬ。
そうと一つ気付けば何とかなる。そこから先は「のぼかん」で理論的に自身も周りも解き知ると、すぐさま生きる標を自ら建てられるようになる。
「自らが建てるが人生。人に手を出すな、手出しを求めるな。」

57年ぶりの東京オリンピック、これまでは単なるオリンピックの開催とされて来たが、実態はその国の活性発展の起爆剤となり、どこも先を争う程の価値あるものであった。
様々な言われ方をする今回の東京オリンピックだが、どうやら全世界的にオリンピックに委ねていた神通力も見直す段階に来ているのかも知れない。
あの昔の東京オリンピックの熱狂後しばらくは子ども達皆が競技絡みの遊びに没頭した。
情報のない時代の強烈なそのイベントの影響力も、その似たような情報は今は普段に溢れる時代と様変わりした。

時代は変われどアスリート達の弛まぬ努力はいつの世もそうとあり続ける事であろうし、人の営みもまた変わらぬものである。
だが、わずか半世紀で味わう変貌ぶりが、やがて100年200年先にはと意識しようとしても、その画すら思い浮かばないのはなぜだろうか。
人はあくまで現実に忠実にあり続けてより、積み重ねてその未来像も姿を現してくるのか。はたまた今そのものに価値を持てずしてその未来は与えられないという事か。
常々思っていたマークの「五輪は継げど環とはならず」に何かしらのメッセージを見い出せるのか。
眠れぬ夜更けに妙に思い詰めた。 












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