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のぼりです



【前へ前へ】

若い時の物思いにふける癖がついた頃から、一日一日の時間はとても長く感じ、頭

に描く社会人や大人の姿と自分との差は否定できぬままにその心にストレスとして

堆積し、それでも世間でいうところの「若いうちは大いに失敗しなさい」の言葉を

都合よく引っ張り出しては、まだ未熟であることのそのストレスを「全然有り」だ

と肯定するところにまたストレスの芽が開こうとし、どこまでいっても思うように

ならないこの身の苦しさを、考えうる限りの許される限りの逃避や快楽で遠ざけよ

うとしても、必ずその芽の有り様は私の日常のそこかしこに現れてはその存在を意

識させる。

それでも、他人や仕事仲間や家族等と関わり合う日常の中で、それぞれの考えやそ

れぞれの出来事やそこに有る喜怒哀楽の世界に、感化されたり大きく影響を受けて

は共に歩いているという日常の安心感には、人生の充実感すら覚えたり、これから

先の自分の展望にも希望や励ましを受けたり、つい先日の心を引きずる自分の姿と

重ねてみては人の心の陰陽の幅を思い生きる事の大変さと同時に人としての生きる

使命としての苦悩の存在を、しっかり受け止めざるを得ないことを知る。


こうして成長すること年を重ねることにため息の出るような長さや辛さや苦しさを

覚えながらも、一日一日一年一年と我が意に正直に向き合って生きてみてはその結

果としての現実に、親とも友人とも社会の理想とされる人物像とも大いに異なって

はいても、自分が自分らしく生きてきたのだという自負心とも言える世界が少しず

つ増しては重くなっていくことも知ることになる。

やがて20代を経て30代という事実に立った時、それまで必死で生きた割には何

かを残したというより一生懸命やらざるを得えなかった事実の連続に驚くとともに

何かしらの充実感を覚えては、それでも自分の有りたい姿と現実の厳しさにあって

まだまだその延長上にあるに過ぎない自分の有り様に落胆しては、こんなものだと

どこか慰めにも似た心境を覚えた時、ふと生きる事の側面を少し覗いた気がする。


20代の日々の過ごす遅さに比べ、30代はその5割増しくらいに早く感じながら

もその流れをどうすることもできない身にまとう責任の存在に、進むべき方向性の

世界の狭さをもしっかり予見させられる。

こうして一生懸命の日々にあっても一日たりとも同じ日々のない事実、一人として

同じ個性の居ない事実、そんな現実にあって自分の意に沿うも沿わぬも関係なく、

自らの責任たるトラブルや失敗を犯すことがある。そんな時一瞬にしてそれまでの

自分のよちよち積み重ねた自信も実績も誇りすらも失われてしまう程の衝撃を受け

ることになる。

つまり自分にとってのマイナスの要素はその実態をも壊し、自分の心すらも打ちの

めす程のものとなる。プラスに向かっている日常は、日々変わりない自分の正直さ

の延長にあるという視点に立つから、その実態が増えては固まることのみに関心が

あり、毎度毎度自分の心を褒めたたえるような心境とはならないが、このようにマ

イナスとプラスの世界はそのダメージや事実の受け止め方の重さには雲泥の差があ

ることとなる。


そこに社会にあっての失敗の大きさ、というのが初めてその肩にその身にのしかか

ることとなる。

そうすると初めての大きな失敗は自らの来し方や自尊心すら打ち消しては何処に向

いて歩けばいいのか途方に暮れることとなる。

これがいわゆる人生の挫折と呼ばれるものとなる。

人の話や学んだ教えや読んだ本の中に、それらのそんな類の話しはあるいは事案は

山ほどあるのは理解しているのだが、こと自分の挫折となると初めての衝撃に大い

に打ちのめされることになる。こんな時にこそ考える、そんな混乱の時にこそ考え

るべきことは、物事の事実を常にシンプルに整理することである。


悔しさ悲しみ衝撃というような「感情」は無視して、何故そうとなったのかどんな

要因が存在したのか、そこに着目することが実は一番の解決や前進の鍵となる。

つまり、人は一喜一憂というようにその一つひとつの事実に対して「感情」がうま

れ、派生したりする。そのことは人間らしいと言えば人間らしいのだが、集団とし

てのその感情や本音の披歴としては大いに重要な事ではあるが、本人にとってのそ

の事実からの本人の立ち直りにとっては、これほど邪魔なものはない。

つまり一つの事実に対してあれこれあれこれ感情にまみれることは、「過去話し」

のレベルに囚われている事であり、今必要とされる思考の立ち位置とは大きく異な

る。

という事は、そこからの脱出を容易にしないものであるから、その見極めや決断に

大いに時間も気苦労の量も費やすことになる。


長い人生において、こういう失敗を何度か経験した人は、ものの見事にその事実と

感情はきっちりと判別しては、その歩みを出来るだけ止めないことを可能とするも

のだ。

経験がものをいうとか、さすが年の功とか、さすが人生の練達者ともてはやされて

は評価されるのは、これは長く生きれば生きるほどいかに人の心、感情というもの

が我が進むべき道、我が希望とする生き方に対して大きく作用していることを理解

しているという証でもあるということ。



気が付けば40代50代が過ぎ、あれよあれよの60代70代となるとここまで味

わった一つ一つの喜びや悲しみや自信や悩みの世界の一つ一つの意味を自分なりに

しっかり理解し、そのうえで自分の目指す道やその方向の世界にとって、感情を交

えずその事実のみに向き合って励むことがその目的とする道程にとり最もふさわし

いという事を、知ってきた事実をその通り表現していると言える。

感情があるから感情が豊かだから人であり、その人らしさでありと言えるけれども

その反面その人にとって向かう世界、望む世界の事実にはその人間その人らしさの

世界は、どうやら邪魔な存在に置き換えられるものなのかもしれない。

そこに冷静沈着に物事に向き合う、その事実に向き合うそれを仕事とするという一

つの理想の言葉が存在するのも、このような背景があるということだろう。


人はおそらく生を終えるまで日々に感情を自覚しながら生きるものだ。それに影響

を受けながらでしかその日々は終わらないのであろう。

しかし、私たちが生きる証や生きる価値とするものを形として実績として残すこと

を希望する時、そこはそのものの事実でしか表せないという事に尽きる。

それゆえに人生にいき詰まったとき、立ち止まることなく前へ前へと日々に過ごし

ながら、とにかく前へ前へと向かいながらその先の修正や微調整をしなさいと教え

る。

誰しもが前へ前へにしかその時間は持ち合わせず、原点に戻るとか初心に戻るとか

そんなリセットできるような現実はなく、失敗したなら壁を前に立ち止まったなら


前へ前へと進みながらここまでの歩み方を方向修正したり、微調整によりその事実

と異なる世界への勢いを得ようと努めるものである。

前へ前へという言葉に多くの事実や感情の世界を飲み込んで、人としての今ある現

実の中で今日を思い明日を思ってしっかり歩いてまいりましょう。

「人生を考える会セミナーにおいての骨子」より。


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