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のぼりです


身なり

先月末この地方が初冠雪した頃、我が家のシャワー設備が壊れた。浴槽もこの水栓から貯めるご

くシンプルな作りだから途端に困る。住み着いて約20年のこれまで家に不具合を覚える事がなか

ったので、初めてガス屋さんや大家さんに連絡してはその改善をお願いする。

こうして2日間の我慢で新しい水栓に替えてもらいひとまず安堵したのだが、遠い昔の不便な時

代の生活を思い出しては、無いならないままに合わせては、自分の意に近い時間を過ごすように

はするものだと改めて思った。


身体も衣類も清潔を保ち、仕事はスーツを着用し、これも毎回きちんと手入れや洗濯やアイロン

がけを怠らず、とにかく帰れば靴や鞄まで手入れし、明日の着衣の準備まで手際よくやり、本日の

「仕事」を終わりとする。

この間あまり考え事もしないし、逆にいかに迷う時間を少なくして終えるか、に力点を置いている

から、側から見たら忙しない男に映るだろうなと思う。


娘がまだ家にいた頃、ソファに横になり菓子を食べながらテレビを観ては、側をバタバタ動く私に

今日の出来事を話しかけてくる。

時になんかおかしな構図だなと思いつつ、片付けが終わるまではゆっくりしない父と割り切ってる

様子に、苦笑いも浮かぶ。


センチ単位で気にするような几帳面さではないが、あるべきところに置き、シワがあれば直し、

汚れていたら洗い、磨くだけで、やるべき事と決めた事はさっさと済ませるだけで、神経質でもな

し、こまめでもなく、どちらかというと面倒くさがりだからこそ、こんな生活を送ると思っている。


「お前が余りにも身なりを構わなさ過ぎるからそんな事になるんだ。」昔母親が呆れては段々と腹

が立ってきたのだろう、珍しく私にしつこく説教を始めた。


その前日大阪の問屋との打合せに朝飛行機で行き、順調に終わった帰りは、好きな寝台特急

にしようと、大阪駅の構内ベンチに座っていた。40年前の大阪駅だから、今のように洒落たでも

無機質な空間ではなく、天井は高く遮るものも少ない大らかな建物で、まだ出発まで四時間近

くあるのだが、風邪で熱もあったので、ベンチに座り居眠りしていたところ、突然両側から二人の

警官にポンポンと肩を叩かれ、ちょっとそこの交番までと連れて行かれた。まあそこであれこれ身

元を聞かれたり持ち物を調べられたり、裏で実家に問い合わせしてたらしいから、驚いたままの

母が翌日帰宅した私の顔を見るなり詰問したと言うわけだ。

田舎の人は地域に根付く家庭持ちの警察官が住み込んで保安にあたる、駐在所の駐在さんくら

いしか警察に関わりはないから、それが突然「こちら大阪府警ですが」、と来れば泡を食うだろう。

こうして実家に大阪府警より私の身元確認が入った事を責め立てているのだ。


空腹を汁かけ飯で済ませながら、一応「迷惑をかけました」と母に頭を下げる。

それでも「情け無い、跡取り息子が警察に疑われるなんて」と止む気配がない。

そこでつい「いいじゃないか、悪い事をした訳ではないし、誤解されただけだから」と口を挟んだの

がいけなかった。

「だから普段から言ってるだろ、身なりを最低限は構って欲しいと 。親の私がこうして恥をかくでし

ょ」「恥を書いたのは俺だから別にいいでしょう」と私もムキになっては、おかしな方向へ行きそう

だから、スゴスゴと退散する事にする。


母が言うのも最もでどこに行くにも作業着で、靴下は嫌いで冬でも履かない。スーツは一着ある

がシャツもネクタイも持っていない。義理ごとで必要な時は、市会議員をやりオシャレ好きな父の

持ち物を拝借する。当時は体型が同じだから何の不自由もない。

前日のスタイルも作業着とゴム草履で飛行機に乗り問屋に打合せに行き、仕事もちゃんと受けて

くる。何事も中身が大事で何年来この格好を非難して仕事を断る会社も担当もいない。接待営業

も一切やった事はない。

日常もそうだし、家でも大阪でも、東京でも、変わらぬ自分でいたいと言うのが、私の基本でその

事は今も大差がない。


でも当時毎晩のように飲み歩いていたが、その時は必ず風呂に入り着替えて行く。仕事の延長

で大好きな飲み歩きはしないのだ。だから、何があっても飲む時は身綺麗にしてとなる。

受け取り方では仕事より、遊びに気合いが入ってるようだが、それが本音なのかも知れないが、

仕事も汚れた風体ではいないから、常に一途と解釈してもらえたら幸せだったんだろうが、親でさ

え変人と思い込んでいるのだから、それも甘んじて受け止めるしかない。



ある時、問い合せのあった商社の直営工場に出向く事になり出掛けた。なだらかな丘陵に建つ

瀟洒な工場の門を潜り、近くの花園の手入れをしていた作業着姿の初老の男性に社長への取り

次ぎ方を訪ねる。その時、二日酔いの私はその男性の横にある、開けたばかりのビール缶を見

つけ、少し冷やかす。ニヤリと笑った男性が「どうぞご内分に」と言う。


応接室に通され担当者と話していると、先程の作業着の男性が入って来て、社長ですと紹介を受

ける。

顔を見合わせて笑いながら、ここの仕事をしばらく引き受けてやろうと決める。

最高学府を出て通産省に入り、定年間近で弟の経営する有名石油会社を手伝い、関連のこの会

社も経営していると、パンフレットで知る。

「あんたもワシも変人同士やね」と握手して別れる。

その時の鋭い目つきがより親近感を抱かせた。


あれから40年あまり、変わらぬ個性で生き続けて来たが、この個性なりに様々な経験で、その意

味や考えの拡がりを知った。誰でも時間とともに経験は増し、その個性は変わらねどその理解の

仕方、その範囲の広がりや深さは間違いなくあり、それはなにびとにも等しく可能性として備わる。

私は私の個性としてこの世を生き、この世の在り方に学んでは試し、時に受け入れられ、時に弾

かれては、我が意のありようを日々に考えては自身に受け入れていく。やがてこれで良いのだと

思えた時に世のありようも認め、他のありようも理解でき、それと同時に私の心も固まり落ち着く。


大阪駅の話には余談があって、交番での職質が終わり、さすがに駅の同じ場所には居れないな

と、日の射す阪急デパートの壁にもたれた。

すると今度は5人位の見るからに嫌な連中に囲まれた。「兄さん仕事やってくれへんか」、俗に言

う手配師の連中で、彼らの眼にも仕事にあぶれ身を寄せるところもない格好の人物に映ったらし

い。

目の前に止まったバンに連れ込もうとするのを、必死に拒む。

遠くから警官が笛を鋭く吹きながら走って来るのが視界に入った。

彼らも私から手を離し慌てて車に乗り込み去る。

私も同じく阪急デパートの中に走り込む。エスカレーターを駆け上がりながら、いったい誰からな

ぜ逃げようとしているのか、わからなくなった。


この話は母には言わず終いだった。言った後の顛末の方がややこしいと本能が教えたのだろう。


新しいシャワーを浴びながら、なぜか母の小言だけが蘇る。「身なりはきちんとするんだよ」

問いかけてももうその姿はないが、思い出せるのが有り難いのかも知れぬ。

石鹸を流しそこねて眼にしみる。



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