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のぼりです


駅へ

慣れ親しんだ知立の昔ながらの住宅街を歩いては駅へと向かいます。

今では次の角にはどんな看板があって、その先には魚屋があり、その道向かいにはお稲荷さん

が祀ってあり、その横には小さな商人宿があり、しばらく行くといつも家の中からラジオ放送が聞こ

える家があり、通り過ぎるたびに大きな声で会話の絶えないお宅あり、そしてその先はと在住20

年ともなれば、その時間帯のそれぞれの場所での佇まいが意識に染み込んでいる。

それでもこの地域のどなたとも未だに世間話をするような機会も縁も持たないが、それも気楽な

日々を望む結果と足せば、私なりのこの地での月日の蓄積の現実は大いに満足で有り難しとな

る。


この頃身辺に何処そこのご不幸や闘病の情報が増えてきた。

その都度「そうか」と頷く事しか出来ないが、人の定めとはいえ老いてはその終焉の有る事を誰し

も否定は出来ないが、我が身でさえあそこがここがと、小さな違和感が年中行事となってくれば、

これこそ老いてく事の現実だなと、否定し難い気づきが明瞭にこの身に住み着いては、徐々にそ

の芽を膨らませていく。

それでも人と会う仕事をしていれば、そんな感情の起伏が人の何の役に立つ訳でもないから、人

前に出る以上大いに気持ちも意識も切り替えて、その人のこれから先の物事の考え方捉え方の

原理たるを大いに話す。


『のぼかん』というこの世になかった考え方の「0から1を創った男」として珍しがられたりするが、

聞く側はその歴史や動機にも一応の興味は持つが、それはその商品自体の背景の事実を知りた

いだけで、私の苦労話や本音のあれこれを知りたいとは思わないはずだ。

その時間の対価を払う分、「自分の事を、自分の不安の原因やあると言う可能性の現実観」に意

識は準備されている。

伝える側の自信や優越感の類など、仕事においては本末転倒に属する不要なもので、ひたすら

その面談の主旨を逸れてはいけないと常に自らに確認する。


相手の心情を聴きその因に思いを巡らすことはあっても、互いの愚痴や自慢などが役立つ事など

はない。

瞬間その場を和ごましたり、世間の広さを多少知らしめることになる事はあっても、相手の人生の

学びや向上に繋がることなどはあり得ない。

あくまで、「私の人生は私のみのもの」で、親子であろうとも夫婦であろうとも、他の人生と心情や

価値観が全く重なり被り合う事などはなく、各々がそれぞれの意思にあって、お互いの価値観の

理解に努め合う事こそがとても重要だと考える。


世間で重宝されている「愛」や「平和」や「勤勉」という言葉も、それを器用に振り回す事で押し付

けていくものではなく、お互いがそれぞれの意思や価値観をその個性として、一生懸命理解に努

める事こそが、これらの現実の入り口と言えよう。

「愛とは、究極その理解に尽きる」とは誰の言葉だったか。


褒めたり惚れたり助け合う事だけが人の最善ではなく、時に怒り悲しんでも、なぜそうなのか、そ

うとしかならないのかと、苦しみ悶えるその感情の渦中でとどまる事なく、自他にあってのその意

味、その実態に迫ろうとする気持ちは、愛情あるゆえの行為に他ならないと確信する。

「知り理解する」、大人はその環境を子ども達に創り残し伝えていく責任を持ち、やがて老いては

またその領域で「知り理解する」事への勇気を我が身に湧き起こしては、果たして覚悟の通りそ

の未知の終焉の世界へと堂々と向き合える大人でありたいものだと心に期す。



駅の雑踏に子ども連れや若者同士、年上と思しき毅然としたご婦人の御一行、主婦やサラリーマ

ンや学生や外国人や意図のわからん怪しい格好の青年や、新入社員らしき沈んだ表情の女性や

ら。

この皆さんの全てに何処かへと目指す今日の目的があり、今朝起きたそれぞれの住まいがあり、

家族があり、実家や故郷があるのだろうし、今また目の前を通り過ぎる一人一人に抱えるその胸

の内があり、昨日とは違う今日であり今日と明日が同じと、信じてもいないし思ってもないだろうが

今日はこのままの流れでも明日また何が起こり待ち構えるかは分からずとも、それが楽しければ

嬉しいし、嫌な事なら軽く済めばいいなと強く重く予感する。ホームの誰もが無言のうちに互いの

前後に立っては同じ方向への列車を待ち、またそれぞれの駅に向かい、それぞれの目指す場所

にひたすら向かう。

それぞれの価値観や目的や心情は違えども、何かに向かいぶつかりこなし済ませては、また他

の場所へと目指す。


その途中もひたすらその意識は様々な事を思っては乱して、やがて落ち着きそしてまた繰り返

す。心落ち着く事など人の一生にあるのかねとあまりにも思い募る心模様の多彩さに呆れてはも

て余し、いつかの先の旅や語らいや好きな時間への没頭をと思いを巡らせては我が身の慰撫を

日常の楽しみにし励ます。

一つの身体は一つの事ずつしか果たせぬが、一人の心はさまざまと騒めぐ。


駅までの15分が今日は少し長く感じた。

徐々に強まる日射しに夏の暑さを思っては気分も落ちるが、昨夜来よくここまで来たなと自身に思

う事があって、それがちょっと頭の隅に隠れてはよぎり吹き出した汗もそんなに不快に感じない。

相変わらず膝が変だな、踵が痛むなと、やれやれはやれやれだが、「痛む間は生きてる証」とお

気楽に頷きながら列車待ちの列に並ぶ。


サァーッと心地よく風が通っていった。

まだまだやれるぞ、そう言われたような気がした。



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